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No.11 選挙は大事 さんのコメント:
ご高説ごもっとも。
でも、棄権もひとつの意思表示ではありますね。
例えば、適任者がまったくいない、入れればつけあがるだろう、とか感じた場合などですね。
私見としては、彼にマイナス票(0.7くらいが適当?)が入れられるような制度変更も言いかと思っています。棄権が多少減るでしょう。
No.12 匿名希望 さんのコメント:
数の暴力とはこのとですな
No.13 竹上 降 さんのコメント:
「数の暴力とはこのとですな」
言語明瞭意味不明
No.14 そもそも さんのコメント:
氏は:「わたしは選挙や政治に興味を持っていない人たちに対しては失望はするが責める気はない」という。ならば、私はこう言いましょう:「選挙と極めて狭義な”民主主義”でしか”政治”を語ることのできない人に対して失望はするが、責める気はない」と・・。(註:「選挙に行かない人は政治に文句を言うな」のコメント参照)
No.15 匿名希望 さんのコメント:
現状の制度も利用せずに何を言うかな、この人は。
次の制度を提案でもしていればまだしも。
No.16 そもそも さんのコメント:
15さん、ですからあなたの主張と私のコメントに矛盾などないと思います。「投票するしない」と言う「選択」が「政治に文句を言うな」などという「命令」に直結される理由というのは、あなたのこの現状の民主主義の「絶対崇拝」であることに変わりはないし、あなたの諸コメントにもすでに現れているように、単にそれを同義反復させた言説を露呈しているだけのこと。ではひとつ提案しましょう:民主主義とは「某主義」を「絶対化」させる「宗教的信仰」を指すのではない。「投票するしない」などというのは単なる一論点にすぎず、「政治」一般を満たす充分条件ではない。「ダイアログの保障」がなされて初めて「自由」と「民主」が確保される。そういう意味から、私はあなたの「信仰」に「自由」は認めますが、「政治に文句を言うな」というある看板を絶対化させた命令は、「民主」へ近づくロジックなのではない。なぜなら、あなたと「信仰」が同一でない人の「自由」をあなた自身が保障できないのですから「民主主義」と口でいうだけで、実際には「民主」にも届かない「排他主義」である!ということをいっているのです。おわかりでしょうか?
No.17 あはは さんのコメント:
ていうかテレビでは選挙のことしかやってないし、どっかのチャンネルでやってなかったとしてもおもしろくないばんぐみばかり・・・
No.18 養護学校教員の知り合い さんのコメント:
外出できないために投票所へ行けない者もいる。
No.19 匿名希望 さんのコメント:
年齢的に選挙に投票できない人にも見るなと言いたいの?
No.20 そもそも さんのコメント:
それでは具体例を出して考えてみることにします。私が言いたいのは、「投票=政治参画」というような論理がドグマ化された議論そのものに問題性はないのか?ということです。
まだ記憶に新しい「郵政民営化を焦点とした」先の解散総選挙で有権者が目の当たりにした一つの問題は、解散総選挙に「政策的な焦点」が与えられすぎた為に、「政治的」立場としての自民の保守派(便宜的解釈上の右派)と社民、共産(便宜的解釈上の左派)がオーバーラップしたということでした。言い換えれば、ある政治的理念をもった有権者が、この解散総選挙劇に参加した場合、却って「政治的」思想理念を捨ててまで、投票行為をしなくてはならなかったというアポリアに向き合ったのは事実です。
投票したい人がいるとかいないとか、そんなことではなく、「選挙」という概念そのものが相対的であるという一つの意味は、果たして「投票」しただけで、「政治参加」をしたなどとといえるのか?ということを疑っているのです。「政治的」なスタンスではなく、ただ「政策的」な視点だけで国家的に解散総選挙がとり行われ、そして投票行為が行われて政治運営されているというまさに怪現象が現実として存在しているのです・・・。
No.21 るる さんのコメント:
アゲアシとるの好きですね、前の方。
No.22 匿名希望 さんのコメント:
選挙速報なんて見ないもーん。
No.23 ジュリー さんのコメント:
勝手にしやがれ!(No.22どの)
No.24 匿名希望 さんのコメント:
見たくなくても速報とかテロップで出るでしょ。よく考えろ。
No.25 そもそも さんのコメント:
  投票に行かなかったら無責任な人だというラベルを貼られ、馬券を買う気分で投票しただけで、このダービーニュースを見る資格が与えられるという極めて粗雑な区分法が「現実」化したと仮定しよう。
  私が知りたいのは、この粗雑な区分法に賛同している「大変有能な政治的人物」たちが、この区分法を用いる事によって社会現状の何をどう改善できると考えたかである。この区分法を採用する事によって何がどのように変わるというのか?具体的にシュミレーションしてみよ!それが提出できないのなら、即刻廃案にせよ!
No.26 さくら さんのコメント:
選挙の投票行かない人は、国から貰う手当は無しにした方がよい。健康保険や病気・ケガの時の傷害手当て・介護保険・老後の年金などいろいろあります。
No.27 あのね さんのコメント:
特殊事情で投票に行きたくても行けない人もいる
No.28 ぱーまん さんのコメント:
投票に行かない人は「支持する政党も支持しない政党も無い」「政府不信も、政治への信頼も無い」のだろうか。
年金問題やら、自分たちに直接関わってくる問題もあるだけに、よほど現状の社会システムに満足し、経済的にも余裕があり年金無しでも満足に生活できる人くらいではないかな。
絶対、投票に行くべし。
現状に満足ならその方向で投票すればよし、不満があるなら、現政権に対抗する候補者・政党に投票すりゃいいんだ。
投票という「意思表示」をせず文句を言うだけでは、何も変わらない。
No.29 aa さんのコメント:
見るかどうかなんて、個人の自由と思うんだけど。なんでそんなことまで指図されなきゃならないの?
No.30 そもそも さんのコメント:
前回は「郵政民営化」で今回は「年金問題」ですか?こんな「雰囲気」では、アホくさくて投票する気にもなりませんが・・・。どの政党の、どの政治家が、いつ「スローガンに理由など必要ない」という現象を真剣に分析しましたか?ご存知の方、教えて下さい。
No.31 あのね さんのコメント:
争点がたとえ自分にとって不愉快だったとしても、そんなことは投票放棄の口実にならない。仮に投票したい候補者がいなければ「白票」等で意思表示すればいいことだ。
No.32 匿名希望 さんのコメント:
白票は創価に有利って聞いたが。
No.33 おちけん さんのコメント:
「白票は創価に有利って聞いたが」
あっ そうか!
No.34 匿名希望 さんのコメント:
よくありがちな、考え方ですね。

税金はらってりゃ、批判してもいいと思うよ。
誰かの受け売り?
No.35 男山弓岡5-18-204 さんのコメント:
行かないけど結果だけ知りたい人もいるんdろうに。
スポーツ中継は見ないけど贔屓のチームが勝ったかどうだけチェックするみたいな
No.36 《この位置にあったコメントは、投稿者により削除されました》
No.37 命令 さんのコメント:
投票に行きなさい!
No.38 じゃあ さんのコメント:
投票したい候補者がいない場合はどうするのか