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No.1 数学教師の知り合い さんのコメント:
「一の段」は「1」が掛け算における「単位元」であることを知るために重要だ。(それを知らない者こそ数学力が低下している)
No.2 匿名希望 さんのコメント:
1をかける計算を省略している九九の教材(ビデオ)もあります。
あと、その理屈では「八八」であり、「六四」というのはおかしいです。
No.3 匿名希望 さんのコメント:
1欠ける1は0だと思いますが。
No.4 数学者 さんのコメント:
どうやらTセンコーは算数が大の苦手のようだ。(一の段は「単位元」とはどんなものかを理解するために必要だ)
No.5 匿名希望 さんのコメント:
>No.4
ここでT氏が言いたいのは一の段の結果は声に出して暗記させるまでもないということなのでは?(つまり、そうした計算が不要という意味ではない)
No.6 匿名希望 さんのコメント:
一の段が不要と言うのは、充分に算数を理解している人の話であって、これから掛け算を覚える人には当てはまらないように思います。
No.7 無冠の文化評論家 さんのコメント:
人間が人間たるゆえんであることの根本は、無駄なことを無駄と知りつつあずさゆみ したりがほしてやるぬべきかな。
つまりこういうことが文化なのだ。なぜtac'knは一銭のもうけにもならないネット活動にいそしんでいるのかという一事をとってもそれはあきらかだろう。文化の無駄のひとつに形式ということがある。形式を守ることはおおいなる文化活動のひとつだといっていい。いんいちがいちいんにがに---は九九というすぐれた算数の歌、または算数経文の欠くべからざる重要な部分なのだ。そう解釈すべきだと思う。
No.8 数学者 さんのコメント:
「一の段不要論者」は後に「群論の入門を習うときにきっと後悔する。
No.9 削除希望 さんのコメント:
論外!!!
No.10 アリストテレス さんのコメント:
確かに!!面白い♪
No.11 削除希望2 さんのコメント:
論外論外論外!!!
(学力低下促進を招く。面白がっている場合じゃない)
No.12 さんのコメント:
バカバカしくて話にならん!!!
No.13 匿名希望 さんのコメント:
へぇ、「+」や「−」は自分で定義しきれていないのに「×」は「ある数字に1を『かける』」で当たり前なんだ。すごいなぁ、T氏。
No.14 単位元 さんのコメント:
「単位元」が何であるかということを示すために「一の段」は絶対に必要
No.15 数学者 さんのコメント:
「一の段を真顔で暗記しているのは、喜劇と言ってもいい」
むしろ逆。一の段を知らない者に積算を語る方がよっぽど喜劇的だ。
例えば、1メートル×5メートルの面積を出す場合を考えてみなさい。
No.16 こち さんのコメント:
3×4と4×3は全く別物のかけ算であり、これを一緒くたに考えてしまうと、かけ算の本質を理解できない子どもになります。
No.17 匿名希望 さんのコメント:
掛け算を知らない子供達は、1をかけても同じ数字になるということを知らない。それが当たり前なのは、1の段を知っているからこそだ。
No.18 喝! さんのコメント:
単位元がどんなものかも知らないくせに!
No.19 匿名希望 さんのコメント:
そうだ
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No.21 閉鎖希望 さんのコメント:
婆亀!
No.22 Hope to close さんのコメント:
Bacame!