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No.19
匿名希望
さんのコメント:
本を読んだあとに感想を聞くのはやめたほうがいいと思います。言葉や字にできない、心で感じたことを大切にしてほしいです。
No.20
宏一郎
さんのコメント:
読書を広めよう全国協議会シンパの立場からひとこと。
この文部省の読後感想文攻勢はやはり、できるだけ多くの良書をしっかり読む機会を与えようという観点からなされているのだろうと思います。それ自体はまことに結構な方法でしょう。
いったいに、勉強というのは楽しんでやれることはあまりない。残念ながら、自分をむちうって、苦しんでなされることがほとんどです。日本では小学校から大学にいたるまで、その思想がなく、とかく師弟ともどもふやけきった関係で甘え、甘やかされて社会へところてん式に出て行く。学校というところは遊園地ではない、もっと厳しい人生の修練の道場なのだという当たり前の観念を思い出させなければならないと思います。そこには体罰も、陰惨ないじめも、ありとある社会のマイナス面もあるのは当然です。それらを潜り抜けていっちょうまえの社会人になるのでしょう。あまりに過保護、身勝手な主張がはびこる学校の父母会の存在は、このままでは日本をふやけきった滅びの国にしてしまうと思いますよ。
No.21
思想統一は大嫌い
さんのコメント:
その教育方法の目標は思想統一だ。すなわち国が定めた本で模範解答どおりに書かせるものである。こうして人間本来の多様な考えをこういったやり方で国(役人)の意向に沿わない考えを排除するものである。これを人生の修行であると主張するのは独裁主義的発想で危険が多い。
本来の「読書感想文」は読者それぞれが読んで感じたことをそのまま文にすればいいものであって、思ったことを押し殺してまで国(役人)の意向どおり書くものでは決してない。
No.22
匿名希望
さんのコメント:
この意見に全く賛成です。
自分は昔、読書感想文廃止論を学校側に提出したことがあります。
少なくとも、読書感想文を書かせることにより、子供たちが、活字に興味を持つはずがありません。
読書感想文を書くことが前提の読書は、その場しのぎ的な読書になり、全く効果がありません。
読書の推奨を行うなら、他の手段を講じたほうが適切です。
ただでさえ、活字離れが進んでいるのに、読書感想文は、活字離れに拍車をかけるだけです。
極端な話、読書感想文はあらすじの要約の練習だと個人的に思います。
No.23
太郎16歳
さんのコメント:
自分も大賛成です。自分も昔から読書や感想文を書くというのが苦手でした。おかげで本は教科書ぐらいしか読んだことがありません。本を読むことがいったい何が面白いのかまったく分かりません。こんな風の思っているのは、自分だけでしょうか?
No.24
背徳者・ルオン
さんのコメント:
私は、この読書感想文を書かせるというもので、本を色々と読んだ経験が御座います。 そして、私は本を読む面白さを知った数少ない者にございます。
少数派では御座いますが、このような宿題? は決して無意味ではないと、私はそう思いますがね。
その本を読んで何を感じたか、そう言うことをただ拙い文章で書きなぐるだけでも、立派な読書感想文だと思いますがね?
No.25
匿名希望
さんのコメント:
感想を言葉に出来る能力も必要だとは思いますが、内容を教師が批判するのが問題なのですね。もちろん、表現を正すとかは正誤の問題ですからいいとして。
感想を5冊分書くよりあらすじを3冊分書かせたほうが勉強になるし、本を理解できたという達成感があって次につながるかもしれませんね。
No.26
匿名希望
さんのコメント:
はっきり言って、生徒の感想に対してどうこう言えるだけの能力が無い教師が、生徒の感想文をクソミソにこき下ろすことが、一番の問題だ。(私は小学校の5年6年と中学1年、それと高校の3年間、そんな教師に教えられてました)
No.27
背徳者・ルオン
さんのコメント:
No.26殿。
貴方様の意見、もっともにございます。
とりあえず大学で学べば教員免許を取得できますからな。 免許を取ることなんぞ、所詮ペーパーテストにて行われ、適正試験などは至極簡略されたものにございましょう。
テスト対策の一夜漬けでそのテストに合格できたとしても、そんな付け焼きの刃なんぞ、すぐに剥がれてしまうもの。
そう言った者が、学校で教鞭に立つ。 くっくっくっ、質が落ちるのも当然でしょうな。
無論、本気で学生のために身を粉にしておられる教員の方々もいらっしゃいますが、その様な下賎な連中のために、かのような方々の評判も落ちるというもの。 今一度、教員のあり方というものを、教員自身が一考していただく必要が御座いましょう・・・。
No.28
そもそも
さんのコメント:
学生に「読書」したものの「感想」を書かせることが問題なのか?それとも、ある事柄への「感想」を書かせる(もしくは書く)こと自体が「思想統一」の作業として排除されなくてはならないと考えられるのか?討論の焦点がぼやけていてよく分からない。
そもそも「読書感想」というもののスタンダード性を「あらすじ+面白かったです」に限定している事自体に問題がある「だけ」ではないのか?そのようなレベルの感想「しか」述べることができない現実に、大人(教師)が甘んじているから問題なのではないのか?このトピックの議論そのものに対する「あらすじ+賛成である」や「あらすじ+反対である」も、構造的に小中学生レベルの感想文と相違ないではないか。
あらゆる言説には限界があるという事実認識への眼力が永遠に養われないという点で、T氏が提出するトピックに対する小学生レベルの「感想文」がここには氾濫しすぎている。己の「感想文」のレベルの低さを棚上げにして、感想文の廃止論や継続論を提出すること自体、自己欺瞞である。
No.29
Addy
さんのコメント:
感想文を否定はしないが、無意味な字数指定や教師による一方的な内容の方向付けは、子供の勉強離れを招くとは思う。
ま、そんなことで嫌いになる奴は遅かれ早かれ勉強嫌いになるんだろうけど。(→俺のことだけど。orz)
No.30
人
さんのコメント:
今のやり方では「思想統一」の狙いが強い。
(感想文に「模範解答」が存在するようでは)
No.31
エマ
さんのコメント:
No.30さんの「思想統一」ですが、まずその前にあなたがお考えの「統一」されるであろう「思想」の具体的内容を明示してください。でないと、あなたのこのご主張には誰もコメントすらする気にならないのでは?つまり、もしかしたらNo.30さんは、「統一」されるであろう「思想」の内容とは、実は多元的な内容であって・・・なんて自己矛盾した答えしかできないのかもしれない、って思ってしまいますから。
No.32
人
さんのコメント:
私が言いたかったのは感想文に模範解答が存在することで模範解答以外の考え方を排除することを問題にしたかったのである。
No.33
エマ
さんのコメント:
感想文に模範解答が存在することと「思想統一」との間に必然的な関係があるように思えてしまうのは、この模範解答やらを単一な答えだとNo.32さんが解釈してしまったからではないのでしょうか?
例えば、習字ではいろいろな書体を効率的に習得するために必ずこの「模範」を用います。つまり、文芸を多面的に捉えられるような方法を習得する上で、ある方法に即した模範例を示すことが、表現法への理解を促進し易くすると思えますし、ある一つの模範が示されたからといって、それをあらゆる角度の基準値だと捕らえ直し、即刻「思想統一」だと解するほうが、なにやら「思想的」ではないかと思いますが・・・。
No.34
匿名希望
さんのコメント:
まだ読む本が自分で決められるならまだしも、読む本が指定されていて、それに対しての感想文は最悪だったな。
酷い先生になると、最低文字数(行数)まで指定しやがる。
読みたくも無い物を読まされて、感想を書けといわれても、「何も感じません」しか書けないのだけどね。
「何も感じない」も立派な感想だよな。
No.35
そもそも
さんのコメント:
仮に与えられた書物が読んでいない作品であった場合、それに対して読みたくもないという判断がなされること自体に矛盾がある。つまり、読んでいない、や読みたくないということと、何も感じないという感じかたとの間に必然性はあるのか?もしあるとするのなら、その根拠をのべてみよ。
No.36
ある回答者
さんのコメント:
「(二度と)読みたくない」の「二度と」を省略したための誤解に過ぎないのでは。
No.37
Y
さんのコメント:
他の方のコメントを読むと、読書感想文の模範解答があって、それを押し付けられたかのように取れる内容が多いのですが、模範解答なんて提示された方はいらっしゃるのでしょうか。
私はむしろ、どういう構成で、どういう部分に対して、どういう感想を書いたら良いという模範解答があれば、少しはやる気になったのですが。。。
他の方がこだわっている模範解答というのは、「感想文はあらすじのことじゃありません」というダメ出しのことだと思いますが、明らかにレベルが低くてつまらない文章に対してダメ出しすることは『思想統一』とは言えないでしょうし、また、ダメ出しされた理由が『模範解答に当てはまっていないから』だとは言えないのではないでしょうか。稚拙な文章は誰が見ても稚拙です。
私も小学校では同じように「感想文はあらすじのことじゃありません」と言われ続けましたが、優秀作品に選ばれるような感想文を読んだ後に自分の感想文を読んだらきっと、自分の作文が明らかに何か足りないと感じたのではないかと思います。感想文なのに、肝心の感想の占める割合がほとんどないとか。。。
問題はむしろ、感想文をどのように書けばいいのかをしっかりと教えていないことにあると思います。
続く、、
No.38
Y
さんのコメント:
模範解答を示すと思想統一になるという声がありますが、構成や書き方の例を示す分には問題無いと思います。国語自体、誰かが書いた文章を読んで勉強するわけなので、文章の書き方を教わることだけ殊更に否定する必要はないでしょう(例えば作文コンクールの優秀作品などは特別な思想信条が含まれていることはあまりないハズ)。
模範解答を示すと自由な発想力が奪われると考える方もいらっしゃるかと思いますが、それは違うと思います。どんな分野でもそうだと思いますが、独創的ですばらしいものを安定して作れる人は、よく勉強してらっしゃいます。作詞・作曲などがよい例だと思いますが、安定してすばらしい詩を考える人は表現技法をよく勉強してらっしゃる方が多いですし、安定してすばらしい曲を考える人も、伝えたい感情を表現するための様々な技法を他の音楽から学び、取り入れてらっしゃると思います。素人に作曲をさせてもいい曲が作れる可能性はほとんどないです。人を惹きつけるものには共通する何かがあるのでしょう。もちろん勉強しなくとも、自然と独創的ですばらしいものを作る能力を身につける方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの方は、色々な表現技法を見聞きして学んだ上で独創性を発揮しています。感想文も、最初は型通りのものしか作れなくとも、多くの技法を学び、沢山の文章を書いていけば、自然と独創的なものを作れるようになると思います。
書き方も何もわからないうちに、字数指定で自由に書いてこいと言われても、才能のある人だけしか良いものは書けません。
No.39
つう
さんのコメント:
例えば、木下順二代表作品である「夕鶴」の感想文の模範解答は「金に釣られた与ひょうの悲劇であり、現在の資本主義社会に反している」ということになっていた。
No.40
ソングライター
さんのコメント:
作曲を例にして現在の読書感想教育を正当化するコメントがあるようだが、決して100%正しいとは言えない。
現在の読書教育では独創的な感想を書けば「間違い」とされ、模範解答どおりに書くことを求めているのである。それを作曲にあてはめれば「盗作」そのものだ。
No.41
aju
さんのコメント:
読書好きが高じて司書資格を取った物として、全面的に激しく同意します。
私も読書は好きでしたが、感想文は大嫌いでした。感想とは「感じたこと」を書くのであって、感じるとは「面白い・面白くない」という感情のこと。やれ主人公がどうの主人公の気持ちがどうの、それは感情じゃないし感想じゃない。
たとえて言えば、鬼ごっこをした感想を尋ねたら「○○ちゃんが鬼だった」って答えるような、ピントのズレを感じますよね。
それと私は、司書としてはかなり異端な考え方なんですけど、学校でも親でも、「読書」を「高尚な物」に扱いすぎる。
本を読むのはいいことだ、本を読む子はいい子だ。頭が良くなる。読解力がつく。マンガを読んではいけない、テレビはダメ。
読書だけ特別扱い。
これじゃ読書が遠い物になるのは当たり前。
なんで、他の娯楽と同列にしないのかと、常々思っています。
読解力がつくとかそういうのは「結果」であって、求めてやることじゃない
No.42
そもそも
さんのコメント:
ある資格を有することを持ち出して本議論の論拠としているような内容を冷静に観察してみると、自ら司書資格を有すると述べる発話者の論述能力には極めて疑わしいものを「感じる」が、これは私だけの「感想」なのだろうか。つまりある「感想」に実証性を与える事は論述の中で可能なのではないか?まず我々が行うべき事は:
1.読書感想文を教育として特別視することに問題があるのか?
2.それとも感想を書かせる事に問題があるのか?
3.または感想文に評価が与えられる事が問題なのか?
これらが処理しようとしている問題はそれぞれに違うという認識なのではないのか?
いっそ、義務教育での感想文は廃止し、そして新たに「読書批評文」を書かせる訓練を義務教育で徹底させれば、本コメント内にこれほどまで「感想文」が溢れかえる事はないのではないか?
循環論証になるが、「感想文」程度しか書けない大人が、寄り集まって感想文の廃止や継続を延々と議論していても、「感想文」以上のコメントが出されるはずはないのである。
No.43
いずれにしろ
さんのコメント:
今の「読書感想文」が「本来の感想文」でなくなっている。
No.44
《この位置にあったコメントは、投稿者により削除されました》
No.45
ある感想文
さんのコメント:
<このトピックの感想文>
「おもしろくなかったです!」
No.46
匿名希望
さんのコメント:
いつも作文の時間に何も書けなかった。先生に書き方を質問しても「自分の思ったことを素直に書けばいいのよ」と言うばかりで結局何も教えてくれなかった。
No.47
愚問
さんのコメント:
感想を書く事は自分が本から何を学んだか、どう感じたかを顕在化させるのに役立つもの。よって感想文は必要である。ただし感想文を批評するのではなく、子どもが読み取った内容を深めてあげるような感想に対する感想を教師が書いてあげる事が必要だと思う。勿論感想文を書かせる際にも子どもが潜在的に抱いた『感じたこと』を引き出すようにしてあげる事が必要であり、ただ書かせるという点は改善されるべきであろう。
No.48
要は
さんのコメント:
模範解答を作らないことが必要だ
No.49
そもそも
さんのコメント:
ところで、17は「読み取った内容を深めてあげるような感想に対する感想を書いてあげる事が必要だと」いい、更には「潜在的に抱いた『感じたこと』を引き出すようにしてあげる事が必要」だなどというが、内容を深めることや、感じたことを引き出すのに、一体何を「書いてあげる」というのか?調教師の満足の行くようにやりさえすれば、調教師は彼らに「餌をあげる」とはっきり書けばいいのである。
No.50
匿名希望
さんのコメント:
僕は、読書感想文に書くための本を選んでいるうちに、本が好きになりました!
しかし、それでも一向に文がまとまらない・・・。
作文や読書感想文が大嫌いになりました。
No.51
だいたい
さんのコメント:
「正しい答えはただ一つ」ということを前提に教育することが間違い(読書感想文はその最たるもの)
No.52
匿名希望
さんのコメント:
まあ読書感想文は弊害だわ
No.53
匿名希望
さんのコメント:
米国では感想文ではなくブックリポートという、読んだ本を詳しく説明報告解説するという宿題が毎年出ました。感想は個人の人格や性格、感性等に点数を付けられる様で、良くないと感じますし、良い点を取るための嘘つき養成宿題のようにすら感じます。
No.54
《この位置にあったコメントは、投稿者により削除されました》
No.55
いずれにしろ
さんのコメント:
読書感想文において模範回答を出すのは良くない