http://www.tackns.net/sub/powerpoint.htmlへのコメントです。
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No.6 学生 さんのコメント:
なるほど。パワーポイントを使ったプレゼンがいいか悪いかは別として、パワーポイントによって消極的なプレゼンになっていることがあるというのは考えてもみなかった。大学ではパワーポイントの講習があり、それがなくてはいいプレゼンではないという風潮が学内にあります。私もその風潮に乗せられていました。
文明の利器なるもの、使う人間の腕次第で良くも悪くも作用しますね。
No.7 匿名希望 さんのコメント:
まあ、プレゼン自体やるほうにとっても
要点がわからないときのが多いからねw
No.8 PP駄プレゼン経験者 さんのコメント:
パワーポイントも上手く使えば良い武器になるだろうけどね。
プレゼンの道具として使いこなすには、パワーポイントに使われないだけの技量がいるってことか。
No.9 急世代 さんのコメント:
今となっては、パワーポイントを知らない、旧いプレゼンタは使えないって風潮が悲しいですね
No.10 匿名希望 さんのコメント:
ダメな発表をする人は、パワーポイントを使おうが使わまいがダメな発表をすると思いますが。。
No.11 匿名希望 さんのコメント:
まあ、パワーポイントを造るのが目的なってしまっている人は多々いますね。
No.12 匿名 さんのコメント:
一理あると思う。昔の学者・学生だって高等の学術論文を黒板と口頭だけで説明したものだ。その上、頭を使うから返って俗に言うド忘れというものをしにくくなると思う。
No.13 匿名希望 さんのコメント:
具体的にどう変えればいいのかが示されているといいのだが
No.14 ppt世代 さんのコメント:
1997年に書かれた記事とは思えない。十年以上経った現在も「パワポを説明するだけのプレゼン」がいかに多いことか。
No.15 とどのつまり さんのコメント:
15年近く経っても更新されない理由がNO.14にある
No.16 閉鎖希望 さんのコメント:
婆亀!
No.17 佐藤ブライアン さんのコメント:
偶然、このページにたどりついて、記事を読ませていただきました。
15年も前に書かれたことなので、もしかしたらお考えにも変化があったかもしれませんが、ちょっと一言。
「情熱と口舌」で行われるプレゼンに何ら意味のないことに気づいてはいただけているでしょうか?パワーポイントはプレゼンテーションの補助ツールであり、説明を視覚的に伝える、または説明に必要なデータをストレスを聞き手に与えない形で、タイミング良く伝えることが出来る「ツール」です。情熱でプレゼンをされても、裏付けされたデータが提示できない限り、とてもグレーな(嘘か本当か)印象しか与えないでしょう。
必要に応じて資料を提供するのであれば、PowerPointを使用しているのと同じことです。
要はツールが悪いのではなく、ツールを使用する人のセンスを問うべきであり、PowerPointの名をあげて、「このツールを使用するとプレゼンがだめになる」ようなことをパブリックネットワークで伝えるべきではないということです。
No.18 匿名希望 さんのコメント:
「言葉」も道具だと思います。しかし、思考はこの道具を使ってしか行うことが出来ないですね。道具は、「たかが道具、使う側の人間が問題」とは言い切れない深い問題を抱えているのではないでしょうか?人間は言葉以上の思考が出来ない。とも言えるわけで、その言葉の補助・代替としての プレゼンテーションツールも、単にツールではなくそれ以上の意味・魔力を持つとも言える訳です。原文には少しも「情熱」だけが重要だとは書いてありませんし、そう言う浪花節的なことを主張されているとは思えず、むしろ、思考の道具の意味の奥深さを示しているように感じます。 人は道具によってしか語れず、道具の魔力にだまされやすい存在であると言うことではないでしょうか? ある経営者は、役員達が、パワーポイントで自分の担当の業務実績や内容を説明しようとし始めたときに、「諸君、PCを閉じたまえ。諸君の言葉で自分を語ってくれ。」と言ったそうです。この言葉から、この会社の業績は回復され始めたようです。現実を知るには、何が必要かを語っている事象かもしれませんね。
No.19 匿名希望 さんのコメント:
「スライドの一枚一枚が全てプリントとして出席者全員に配られている場合さえ珍しくない。喋り手は殆どその資料を読んでいるだけという状況になる。こうなると聞き手は、資料を先走って読んだり、後で読めば分かるから聞かなくなったりしてくる。」
言われる事はわかる。
なら、資料の字を少なくして口頭で話せば聞いてくれるけれど、帰ってから読みなおした(読み直してくれるとして)時に、ここなんだっけ?他にも何か言っていたな、となる。

使えたい事を全て後から読んでわかってもらうようにするにはもれなく書いておく事になる。

適度に抜いて本人に書き足してもらうようにするには、ある程度の部屋の明るさが必要になりパワーポイントが見えずらくなる。

矛盾というか、すべてが一長一短になるように思うんですけどね。どうなんでしょう。