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No.1 匿名希望 さんのコメント:
出かけてしまってここに居ないという場合は、「出かけてない」と表現すれば区別が付くのではないか。
No.2 匿名希望 さんのコメント:
いや、つーか、出かけていませんでした。って聞いたことないんだけど。誰か言ってる人いる?「出かけてませんでした」はよく聞くけど。作者の周りだけ?
少なくとも周りには、「使ったの?」「使ってないよ」で、使ったから「ない」と表現する人も、そう解釈する人もいないんだけど。
作者がひねくれてるだけなんじゃ?困ったことなんてかけらもないし。
現代語を古文で解釈しようとする困ったチャンと同類に見えるんだけど。
No.3 匿名希望 さんのコメント:
筆者は、「どう言えばいいのか」「どう区別すればいいのか」を言っているのではないだろう。
こういう言い方で解釈のされ方が違うって話でしょう?
おもしろいと思うのだが。(言葉遊びに使えそう)
他のコメンターは頭が固くて、文面の間違い探しに必死なのか?もうちょっと筆者の伝えたいことくみ取ろうよ。
No.4 つまんない さんのコメント:
↓こそ文面から読み取るべきだ
2は要するに面白くもなんともないということだろ(w
No.5 無冠の国語評論家 さんのコメント:
これは、要するに、ためにする設問、ギャグなのだ。
「出かけている」あるいは「出かけていない」という書き言葉、文章が不明瞭な、不完全な、あるいは間違った日本語なのだ。
話言葉の場合、「出かけて、居ませんよ」と言えば明瞭になる。「出かけてませんよ」あるいは「でかけてないよ」は、社内に居るということになる。「出かけた」を否定する述語「--は、ない」でなく「--は、いない」は具体的に言えば、何らかの行動を(社内で)行っている(例 彼は自室で踊って居る)ことの否定であり、「出かけて、いる」という文章はそれ自体矛盾する文なのである。出かけていれば、社内で何らかの行動を取ることは不可能であるし、もちろん(社内に)居るという行動をとることはできないのであるから。
No.6 匿名希望 さんのコメント:
このレベルを「痛快」だと思っている作者が痛々しい。まずは痛快という日本語に当てはまるかどうかを考えるべし
No.7 匿名希望 さんのコメント:
必ず当たる100年後の予言ってやつだ。
「人類は滅亡していない」

2通りにとれる言葉は慎むのが鉄則。
No.8 まぐ さんのコメント:
本文よりNo.7のほうが面白い。
No.7に5点投票
No.9 サイゴノセダイ さんのコメント:
趣はやや違うが未来へ繰り越すことを「先送り」と言ったり「後回し」と言ったりするが「先」と「後」は意味が正反対ではあるまいか?
No.10 ♠管理人 さんのコメント:
私も、No.7さんに5点入れたいです。
No.11 7 さんのコメント:
ありがとうございます(笑)

>サイゴノセダイさん
「先」のトピックに答えがあると思われ。
No.12 匿名希望 さんのコメント:
ま、どちらにも解釈できて困るなら念を押して確認すればいいよね。
No.13 匿名希望 さんのコメント:
「出かけてた?ずっと会社にいた?」→「出かけていました。」or「ずっと会社にいました。」
誰も「ない」なんて答えを期待していないのだってこと。

下の2件は、どちらも頭に肯定(はい)か否定(いいえ)をつければ誤解は回避できる。確かに紛らわしいが。
No.14 CES さんのコメント:
フォークだのシャンプーだのの例は不自然に感じられてならない。
「持って行かれてない」が「持っていかれたため、ここには無い」を意味するとしたら、それに対する質問は「ここに有るか?」であるべきだからだ。シャンプーも同様。
「無いよ」という返事は「有るか?」に対する答えであるべき。
No.15 SEC さんのコメント:
「フォークだのシャンプーだのの例は不自然に感じられてならない」
まさしくそのとおり!
それに「〜ちゃった」の連発もキモイ。
No.16 枕詞 さんのコメント:
「この言い回しは、殆ど最悪である」
”殆ど最悪”ってなんなんだ!こういった言い回しこそ、最悪だ。
No.17 白い月の鏡 さんのコメント:
それを区別する為に、書き言葉なら句点があるのだし、話し言葉なら息継ぎの間合いがある。 故に、この言説は「言葉を文字上だけで弄んでいるだけ」である。 また、ぱっと聴きでは識別しにくい言語体系をわざと使う事で、相手の表情を読む、読唇するなどの非言語的言語に長けたのが日本人であると言えるので、論理言語だけに視野狭窄すると日本文化を逆に蔑ろにする結果になるという見本の典型例である。
No.18 匿名希望 さんのコメント:
>>16
「殆ど」は「最悪」に掛かっているわけではないでしょ。言葉が省略されているわけですよ。
きれいな日本語ではありませんけどね。
No.19 国語の教師の知り合い さんのコメント:
「殆ど最悪である」(×)→「殆ど最悪に近い」(△)
→「よい表現とはとうてい言えない」

<理由>
「最」は最上級であり、「殆ど」は比較級である。そして最上級と比較級を重ねて用いるのは間違いである。
(但し「△」のケースのように修飾対象が異なる場合は間違いとは言えない)
No.20 匿名希望 さんのコメント:
「使っちゃってない」よなんて言葉は
「既に使ってしまって もう無いよ」という意味を表す時以外は
あまり使われてないと思うのだが