http://www.tackns.net/word/word_core.html
へのコメントです。
【コメント全表示について】
・
試験的に
設置しました。
・古い順に並んでいます。2004/11/5以前に投稿されたコメントは対象外です。
・ブラウザのボタンで戻って下さい。
※[編集][削除]ボタンを利用するには、該当記事の削除キーをここに入力して下さい。 削除キー:
No.58
国語の教師代理
さんのコメント:
↓いわゆる乱れ問題とは違いますね
↓(ただの舌ったらずに過ぎない)
No.59
宏一郎
さんのコメント:
言語研究家としてひとこと
コメンテーターの論旨に反対です。私は国語の社会的な変化には原則反対、条件付容認ということです。
言語がうつりゆくものであることは否定しません。
日本語を含めて言語が、言語というツールについてまじめに考えてきたひとびと(文学者とも)が目指してきたことは、言語というもので個人の心に浮かんだ思想やらイメージを極力緻密に、可能な限りにクリヤーに、出来れば美的に実体化(表現)するという努力でした。このためには、言語自体、その社会全体に細部にいたるまで共通であり、はっきりと分かり合えるものでなくてはなりません。つまり、外来語などが付加されて語彙が豊かになることはいいけれど、それ自体が変化してはまずいということです。もちろん極めてまれな現象として、より豊かな表現が可能になるような(副詞などの)使い方、組み合わせ方などの発明が現れることはあるでしょうが、ほとんどの場合、単純化、誤った使い方の広がり、使われなくなるなどの退化現象だと思います。まだこのスレの全体を詳細に見ていないので、間違っているかもしれませんが、変化そのものは多く無害かもしれませんが、必ず、それが普及するまでの中間段階は存在します。そういったことも含めて、私は言語の変化は厳しく管理するべきである、と思うものです。それにしても、ジャーナリスト自体が誤った国語を使って日本語を混乱させるなど、まったく情けないことです。言葉狩りとかいう現象がありますが、私は逆の意味でこんな日本語の誤りを厳罰をもって規制しなければ、日本文化の未来はない!と思うのですが、どんなものでしょうか?
No.60
匿名希望
さんのコメント:
結局、容認できるかどうかはセンスの問題だと思う。
明らかに受け入れられる言葉とそうでない言葉がある。
No.61
若者言葉史
さんのコメント:
日本語の乱れ問題として槍玉にあがっている「若者言葉」の中で「カッコイイ」のように後に定着したものもあれば「チョべリバ」のように定着しなかったものもある。要するに定着しない乱れた言葉は淘汰される運命にあり使える言葉が生き残っているものだ。したがって容認できるかどうかはこれからの時代の流れで決まってくる。
No.62
《この位置にあったコメントは、投稿者により削除されました》
No.63
鈴木
さんのコメント:
最近日本語が乱れてきています。
本当に、その通りですよね。
これは、日本人の質が堕ちてきたということでしょうか。
No.64
匿名希望
さんのコメント:
日本語の乱れなんてつまり簡略化されているに過ぎない。
それを推奨するという事はすなわち日本語の質を下げているという事に他ならない。
No.65
とも
さんのコメント:
言葉は変化していくものだから「若者の言葉は間違っている」っていうのはきっといつの時代も言われてきたことなんだろうと思う。
気にせず、言葉は自由に使うべき!
No.66
内容次第
さんのコメント:
要は言葉の内容次第というところだ。
使い物にならない乱れた言葉は消える運命であり、一方で使える見込みのある言葉が残っていくものだ。
(「チョベリバ」「ナウい」などが消えていった言葉である)
No.67
ともこ
さんのコメント:
極端な話ギャルゴを推進するようになるの?
正しい日本語はきちんと教育し伝承していくべきで、なんかだらしない考えにも聞こえる。
スタンダードは守る努力が必要だと思う。
No.68
唯根行政法務事務所
さんのコメント:
日本語が時代ともに変化するのは当然だが、正しい日本語を全く知りもしない、不勉強な輩が使う粗野で下品な言葉を容認することは、筋が通らないことである。なんでもかんでも、古いままでよいとは言わないが、変化は認めても、乱れは認めてはいけないのである。これが物事の道理というものである。
詳細は、当職ホームページ http://www.atagoyama.jp/~yuine308/トップページ下にある「正しい日本語のページ」参照のこと。きっと納得していただけると思う。頑固者宣言!!! 行政書士 唯根大尚(ゆいねひろなお)
No.69
匿名希望
さんのコメント:
肩の力が抜けたリラックスした雰囲気はいいですね
管理人が自分の領土から世間にむかって射精しなければもっといい
No.70
飛鳥
さんのコメント:
この方の言うことには反対です。
なぜならば、本文の最後の段落で、「ら」抜き言葉は推奨すべき、つまり、ほめて人にすすめべきと言っているからです。
これでは、前段落までの中立的な意図が嘘のように聞こえますので、わたしはこの方の言っていることに反対します。
No.71
匿名希望
さんのコメント:
言葉の取捨選択を機能面のみで判断しすぎではないでしょうか。もっと情緒が必要と思いますよ。
No.72
あらら。
さんのコメント:
何いってるの。結局のところ、何が言いたいのかさっぱり。
No.73
そもそも
さんのコメント:
明らかな間違いの連発なのだから、言いたいこともひったくれもない
No.74
世間
さんのコメント:
変化することだけがいいことのような考えは誤り。
下記のような望ましくないものもあることをお忘れなく。
1.極道弁の使用
2.相手を傷つける差別言葉を相手の目の前で使う
3.東京山の手言葉の強制
4.英語化奨励(特に名詞・動詞・形容詞)
5.必要な省略に文句言いながら、できない省略を奨励する
など
No.75
問題
さんのコメント:
ひったくれもない
No.76
東西南北
さんのコメント:
ひったくれもない
No.77
日本語
さんのコメント:
ひったくれもない
No.78
魔術師
さんのコメント:
ふざけるな
No.79
小林
さんのコメント:
日本語
No.80
画が画が画が画
さんのコメント:
ひひひひひひひひひひひひひひ母は母は母は母母穂ほほほほほほほほほほ法があああああああああああああああああああああああああああああああああ
No.81
粉ここここ
さんのコメント:
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
No.82
喝!
さんのコメント:
意味不明のヘボコメが目立ち過ぎ!
(このトピックの内容もまったく話にならんが)
No.83
愚者
さんのコメント:
日本語は果たして『乱れて』いるのでしょうか?標準語を基準とするという考え方は理解出来ますが、標準語と違う話言葉は言わば方言として捉えられば宜しいのでは?専門用語や社内言葉などとともに局地的に話されている言葉として理解すれば、容認も矯正もナンセンスと言わねばなりますまい。
No.84
《この位置にあったコメントは、投稿者により削除されました》
No.85
いや
さんのコメント:
現代の乱れた言葉を方言とイコールにするのはおかしい。確かに標準語だけが正しいというのはおかしいが、欧米で通用しない「和製英語」や「極道弁」などを使いまくるのもどうかしている。
No.86
本当は乱れを憂う者
さんのコメント:
単に漢字の正誤などと違って一概に何が正しく何が間違っていると 言う方がナンセンスなのではないかと個人的には思う。
現段階での 機能面や 学科としての国語として日本語を捉えるなら 正誤はあると思うが。
ただ、言葉(言葉使い)は 刃物のような物だと私は考える。
どんなに正しい日本語で言ったとしても
相手の気持ちも考慮せずに使われる 不用意な言葉だけが 本当の間違った日本語なのではないのかな?
No.87
匿名希望
さんのコメント:
言葉は確かに時代とともに変わって行く。
しかし、最近の1.〜とはおもいます。2.〜したらいいかなとおもいます。3.〜に(と)なります。 などは話手の本心を正確に伝えずに曖昧で誤解を招く使い方と思う。政治家やニュースのスピーカーなどは絶対に使ってほしくない。
本来、1.は否定2.は懸念3.は経過を意味する言葉と思えるのだがどうも肯定の意味で使っているらしい。言葉はどのように変化しても正確に伝えるものであるべきであろう。
No.88
だからと言って
さんのコメント:
「言葉は確かに時代とともに変わって行く」
そうだとしても、乱れすぎはご法度だ。
No.89
最近は
さんのコメント:
「東京山の手幼児言葉」と「和製英語」が氾濫し過ぎだ
No.90
あのなあ
さんのコメント:
言葉なんぞ、容認しなくても勝手に環境変化の要求とともに変容いくのが自然の法則。
それを今日の異常な乱用を保守反対で置き換える短絡さが無責任な社会悪。乱れは乱れだろう。何トンチンカン言ってんだこいつは?っていうのが点数に表れてます。
No.91
匿名希望
さんのコメント:
ひどい文章だ。言葉の乱れを容認すべきとする理由を説明するのに変化の正当性を述べている。一般的には乱れは変化の一部分で、変化の中でもより容認しがたい表現のことであるのに、この筆者は論点がずれている。
また変化の正当性もでたらめだ。言語の変化の大半が、時代の変化に応じて使いやすくなる為に起きているとは何を根拠にいっているのだろう?それに「使いやすい」の意味が明確でない。仮に事柄を指し示す機能が優れているという意味だとしても、事柄の変化に対応してキマリの中で表現を工夫するから言語として成立するのであって、言語の定義や文法をわざわざ変える意味はなんなのかまるでわからない。
まず論理の組み立て方から勉強しなおせ。
No.92
アホな議論だね
さんのコメント:
言語をコミュニケーションツールと考えるならば、方言とギャル語に本質的にどう違いがあるのかよく分かりません。方言が日本語の乱れとはならない説明をお願いします。
No.93
世間
さんのコメント:
方言とギャル語には歴史・使用年齢層などで大きな違いがある。
No.94
《この位置にあったコメントは、投稿者により削除されました》
No.95
andoorinn
さんのコメント:
わたくしは、原則容認は反対です。変わっても仕方がない言葉と変えるべきではない言葉(表現)があると考えます。特に敬語です。須く「お」や「ご」の接頭語をつければ、苦情を云われない、という風潮には憤りを覚えます。日本語が品下がるからです。自分が散歩に行くのを「お散歩」では、馬鹿がコトバを喋っている(書いている)としか惟えません。
No.96
ぽ
さんのコメント:
「お」「ご」の接頭語の乱用はご法度
No.97
匿名希望
さんのコメント:
「お散歩」は敬語ではなく美化語では?日本らしい美しい表現だと思いますが。
No.98
命令
さんのコメント:
消しなさい
No.99
怒
さんのコメント:
日本語の乱れを容認するだと!そんなに日本語を貶したいのだな!
No.100
匿名希望
さんのコメント:
95
「お散歩」は丁寧語だし、「須く」とか言ってる人が、正しい日本語を語るとは噴飯
No.101
匿名希望
さんのコメント:
この記事だけ他の記事と主張が180度違っていておかしいです。
日本語の乱れを促進したい何者かにサイトを乗っ取られて改竄された?
No.102
ぽ
さんのコメント:
タイトル表現が誤り。これではたとえ中身がスジの通った内容であっても信用できない。(ここでは中身もダメだが〜)
No.103
命令
さんのコメント:
今すぐ消しなさい!