■責任を農林水産省におしつけるな
今回の一連の事件で、農水省がずさんな対応をしていたのは確かだ。だが、それ以上に悪いのは、狂牛病騒ぎをおこした農家である。これはひどく当たり前のことなのだが、ここがきちんと報道されていない。
たとえば、あるレストランが食中毒を起こしたとしよう。このとき、まず第一に糾弾されるべきなのはそのレストラン自身のずさんな衛生管理である。いきなり責任を保健所に持っていくのは筋違いというものだ。
東京・新宿のビル火災で数十人の命が失われたことは記憶に新しいが、防火体制云々の責任を問う際に、第一に悪いのはビル管理者であり、管轄の消防署ではない。
マスメディアというのは大衆受けするために、常に叩く対象を考えて行動する。やり玉に挙げて大衆が納得する対象というのは、例えば政治家や官僚であったり、「学校」であったり、一旦は栄華を極めた芸能人であったり、「アニメ・ゲームおたく」であったり……と様々だが、おそらくそのリストに「農家」というのは存在しないのだろう。ひとつの農家をボロボロにこき下ろすのは、弱いものイジメのようで良くないという判断があるのだろう。
牛肉を食用に出荷するということは、たとえば乳製品を作ったり鮮魚を扱ったりするのと同様、そもそも衛生管理に敏感でいてあたりまえの商売である。プロとして牛を育てて生計を立てる以上は、そもそも農水省の指導などとは関係なく、常に衛生管理を怠るべきではない。西に狂牛病が発生して騒ぎになれば、対岸の火事とは思わずに、自分の育てる牛にも被害が及ばないよう良く調査して飼育法を対処するのが当たり前だ。
同じ様なずさんな管理をしてもたまたま今のところ狂牛病が出ていない農家に比べて、くだんの「千葉の農家」は「運が悪かった」と見る向きもあるだろうし、それは事実だろう。従って、肉骨粉を与えていた農家は、表面化こそしていなくても、みんな同罪であると言える。こういう農家の存在が、プロ意識を持って狂牛病とは無縁の飼育法に切り替えていた日本の畜産家たちに、間接的に甚大な打撃を与えていることになる。
農水省の対応は擁護するまでもなく罪死に値するが、「農水省が言ってくれなかったから……」、「農水省が……」、というのは、日本の畜産従事者の甘えに他ならない。マスメディアはまず第一に日本の一部のずさんな農家を非難するべきなのだ。
■マクドナルドの対応はなんだ
日本で狂牛病が発見されたニュースが出た夕方、すぐに私はマクドナルドと吉野家の株価を案じた。ただでさえ値下げで体力を減らしているはずで、狂牛病は大変な打撃になることだろう。何しろ値下げによって客が増えることを見込んでいる企業は、客が減ってはダブルパンチで売上減につながる。マクドナルドは、ハンバーガーを「平日半額」と言っているだけなので、「半額キャンペーンの終了」という形で元の値段に戻せる余地がある。吉野家に至っては、「値上げ」というステップを踏まない限り元に戻せない。この辺りはマクドナルドのしたたかさなのだろう。
しかし、マクドナルドが「オーストラリア産の肉だから安心だ」という広告を始めたことに関し、私は同社に対する嫌悪感を強めた。今までは「和牛が良し」とされていたからオーストラリア牛であることなど前面に出していなかった。しかし、この狂牛病騒ぎに便乗してまるで「日本の牛肉は危険、でもマックならオーストラリア産だから安心」といわんばかりなことをいうのは、調子が良すぎやしないか。
もっとも、マクドナルドは言葉遣いには入念のようで、上記のように日本の牛肉についてまでは言及していない。しかし、今は牛肉で商売する者が団結して、「安全宣言以降、牛肉は安心して食べられます」とやらなきゃいけない局面に、「オーストラリアだから安心」と、暗に和牛離れを促すかのようなことをやっているのだ。和牛を使っていなかった大手チェーンはどこも似たようなことを言っている。私の非難は、その全社が対象である。
本来マクドナルド等の輸入牛肉を使ったチェーンが言うべきことは、「輸入肉だから安心」などという無責任で無根拠なことではないはずだ。
彼らが取るべき対策とアナウンスは、「弊社では食材に利用する牛肉について全て加工前に検査を行い、安全を確認していますので安心してお召し上がり下さい」ということではないのだろうか?
そもそもオーストラリアで狂牛病が発生しないという保証はないのだ。そのときに、「オーストラリアだから安心」などという無責任なことを言った過去はどのようにしようというのだろうか。食品を扱う企業としては全くプロ意識に欠けるとしかいいようがない。たまたま使っていた肉の産地にまだ狂牛病が確認されていないというだけではないか。そんな運任せにしていてたまたま救われたことを堂々と宣伝しているようでは、したたか者のハズのマクドナルドの未来も明るくない。
これは、まさしく先に述べた、人任せの安全管理の実態である。