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- C o n t e n t s -
*運営方針
*面識の方へ
*トピックの削除
*オリジナル
*リンクと紹介
*採点投票システムについて
*日付の記載について
*ギャグ
*コメントシステムについて
*ページビュー表示について
*検索キーワードについて
*「ひとりごと」について
*プロフィール

運営方針 (2005.5)
 以前、正確には1996年〜2005年4月まで、このページの冒頭(つまりこの位置)には「インターネットと意見発信」という項を設け、当サイトが意見発信のための場であるということを強調していた。しかし10年近い間にはサイトの再編や新しい試みも進み、次第に、そしていつの間にか、この説明は必ずしも当サイトを正しく表したものではなくなっていた。

 現在、このサイトが何であり何を目的にしているのか問われたら、きっと私は「エンターテイメント」だと答えることになるだろう。意見発信とエンターテイメントとでは大きく違うようだが、制作に当たって意識しているのは事実として、それなのだ。しかし、その「エンターテイメント」の中味は少々説明せねばなるまい。

 エンターテイメントは娯楽の意であるが、私はここでとりわけ「entertain」という動詞を意識し、「楽しみ、気晴らしを与え、楽しませる」というような意味で使っている。もちろん私自身が書き、そして自ら読む「楽しみ」も含まれている。だが、主には「楽しませる」の方である。

 「どこが楽しいんだ?」「全然面白くないよ」「むしろ不愉快だぞ」などという読者がいるのは当然である。所詮、エンターテイメントなどというものは、万人受けが難しいものである。むしろ、万人受けよりも、一定範囲の嗜好の人を狙って「entertain」した方が、いわゆる「strike」な人たち対しては、より深く大きく「etnertain」することができるだろう。面白くないと思う人は、一読して去るに違いない。微妙なのは、「不愉快なページだ」と思いながらも繰り返し訪れる読者であるが、広い意味ではやはり「entertain」されているのだろうと私は思う。ホラー映画やお化け屋敷の類が、怖がらせることによって「entertain」しているのだとすれば、それと似たようなものだ。結局のところ、「ヒマをつぶすこと」ができて、「他の何かをしたり、何もしないのに比べて、Tack'nsを読むという選択をとることがある」なら、それで良いのではないか。少なくとも読もうという気を起こさせ、実際にそうさせた時点で、程度が小さかったとしてもそれは広義に「entertain」に成功したのである。もちろん、更に何かしら得るところがあるなら理想と言える。

 それでは、意見発信はどこへ行ってしまったのかというと、もちろん、やめたというわけではない。「意見発信を目的としたページとは言えなくなった」と私が指摘する理由は、全ての記事がそれほど正しく私の意見を反映しているとは限らなくなったということなのである。中には「面白ければいい」と思って書いているものもある。私の意見である部分と、そうでない部分とが“まぜこぜ”になっている。それでは困ると思うかも知れないが、次項にも述べるように、このサイトは私という個人に興味を持ってもらうためのものではない。だから、ごちゃ混ぜでも構わないのだ。というのも、エンターテイメントにはある種のキャラクターを「演じる」ということが必要であったり、非常に効果的であったりする。そういう意味で、ここで演じている「筆者」の人格は、現実世界の私そのものではない。

 そうは言っても、常に目新しく刺激的な、——やや自賛的に表現すれば——斬新で有益な視点を示すことがサイトの特徴であり最も目指すところであることに変更はない。それが私が考える「エンターテイメント」の最終形の一つであるし、私が思っているにせよ思っていないにせよ、そういう見方があるということを示すことが当サイトの流儀でもある。

 そういった私の姿勢がどのようにページ制作に反映されているのか、少々実例を見てみよう。

最近腹の立つこと
 「最近腹の立つこと」では、私は怒って見せている。人気お笑いコンビ「ダウンタウン」の松本人志氏は、「怒る」ことが芸風の一つだと言えるだろう(近年の「切れキャラ」とは一線を画す)。世の中のおかしいと思うことや、身の回りで起きた腹立たしいことに「怒る」のは、見る者に一種のカタルシスを与える面がある。しかし、全ての人に対して、ではない。松本人志氏の芸風が嫌いな人は、このコーナーを読んでもおそらく楽しめないであろう。また、怒りの中に大なり小なりの意見を含めていることは言うまでもない。全てのトピックがではないが、しかし少なくない割合で、有益な指摘や意見も交えているつもりである。
解散宣言・正しい日本語を守る会
 「解散宣言・正しい日本語を守る会」では、言葉を切り口にした話題を多く取り上げている。言葉の誤用を指摘しているものも多い。別にケシカランとか誤りを正せと言いたいわけではないことは、コーナータイトルに現れている通りだ。この手の書籍やサイトはたくさんあるが、その多くのように、言葉の誤用を指摘してしたり顔をすることがこのコーナーの目的なのではない。むしろあまり指摘を受けていない点を取り上げることの方が目指す道である。また時折、誤用に対して怒って見せている部分があったとしても、それは「腹の立つこと」の延長である。
新しい日本語を作る会
 一方で、「新しい日本語を作る会」は、ある時期には明示していたように、“総合エンターテイメント”である。これは、比較的ニッチなセンスの人々を対象にしたユーモアと言えよう。おもしろさが全然分からないと言う人も多いが、読者アンケートでは「このコーナーが好きだ」とわざわざ書いてくれる人も数名いた。多少論理的な考察をした上で、無茶な法則を決め、それを乱暴な運用で様々な例に当てはめる、というのがこのコーナーのお作法だ。
思想家T氏が語る
 「思想家T氏が語る」では、私は聞き手に徹している。T氏はいろいろなことを語っているが、中でも既存のスタンダードな倫理観に切り込むようなことがお好きなようである。「倫理・道徳も常に議論の対象となるべきで、一定の倫理の無条件な押しつけや受け入れは全体主義への第一歩だ」というのがT氏の持論だ。私にはT氏の言っていることが正しいかどうかは分からないし、賛成していることもあれば反対していることもある。しかし、面白い視点を与えてくれ、良きに付け悪しきに付け物事を理解する助けとなる事が多いので、このページで紹介している。



面識の方へ (2005.5)
 私は、面識のある人々にこのサイトの存在を積極的に知らせているものではない。このサイトの読者が増えることは私の望みであるが、一方で、知人に読んで欲しいとはちっとも思っていないのである。このサイトの存在を知り、繰り返し読んでくれている知人は、それなりに面白いと思っているのか、よほどの暇人かだろう。だが、もう一つ困った可能性がある。

 このページは、読み手に私という個人に興味を持ってもらうために書かれたものではない、ということは以前から明言している。だが、面識のある人は、私という個人に対する興味で読むケースも少なくないだろうからだ。従って、私はここで面識のある読者にはっきりと断っておく必要と感じるのである。このサイトを読んで、私という人間を理解しようとしないで欲しいのだ。私はエンターテイメントを強く意識して、筆者としてのキャラクターを作っている。そのため、このページを通して理解しようとした「私」は、実際の私とはかなりずれたものだと予想されるからだ。

 言えるのは、「エンターテイメントだと思ってこんな、またはくだらない、ページを作る人間だ」ということくらいであろう。

トピックを削除するとき (2005.5)
 Tack'ns では単に「古い記事である」というだけの理由でトピックを削除することはない。代わりに日付を明示することで、その当時の記事と分かるようにした状態でそのまま取ってある。この手の個人サイトが、1996年というインターネットの歴史から言えばかなり早い時期に始まり、現在でもなお変わらないペースで更新が続いているケースは、それほど多くないだろう。bekkoameやIIJがプロバイダの代名詞だった頃からの歴史が、このサイトには刻まれている。

 一方で、過去数年間でいくつかのトピックやコーナーが削除されたことがあるのは、熱心な読者なら気づいている通りである。これらには個別に理由がある。私も人間であるから、自分がそれを書くことによるメリットと、それによって受けるデメリットを比較し、後者が大きい場合と判断した場合には、削除という道を選ぶことがある。これは、必ずしも主張を取り下げることを意味するのではない。主張に対する思い入れや執着の度合いがそれほど高くなく、返って余計な反感を買うデメリットの方が多いと判断すれば、わざわざそのトピックを残しておかないのは自然なことだ。デメリットとは、特定の層からの禍根となったり、実際に嫌がらせや脅し・圧力を受けたり、と様々である。だが、必ずしも圧力によって削除するわけではない。「ペンは剣より強し」と思って堅持する主張もあるはずである。逆に、削除してしまうトピックは、それほどまでして言いたいほどのことでもなかった、ということなのだろう。批判する者は何の気なしに言っていても、された方は命がけの防戦を張ることもあるのだ。

 また、後で読み返して、掲載し続ける価値がないと独自に判断したトピックを削除することがあるのは、もちろんである。

 言うまでもなく、このサイトは多数決や合議制で運営しているサイトではない。私という個人が好きなように書いているものだ。従って、反対者が多いとか、採点投票の結果が良くないとかいうことを理由に削除することはない。私が書いたことに対して、これだけの人が評価し、これだけの人が否定的だったということを嘘偽りなく表示する採点投票が存在しているのである。本文に書かれた内容と、それに対する読者の反応を対比することで、楽しみを倍増させて欲しい。

オリジナル
 私がTack'nsで何よりも誇りにしている点は、殆どの文章がオリジナルの着眼と論理で展開されていることだ。私はこのページに於いて、何かの資料をまとめた結果とか、最近こういうのがハヤってますとか、そういったことを書く気はさらさらない。

 こう書くと私は数年前に何かの本で見た以下の引用を思い出さずにはいられない。

——— あなたのエッセイはよくできており、オリジナルだ。しかしながら、オリジナルな部分はあまり良くなく、良くできている部分はオリジナルではない
サミュエル・ジョンソン

 当たり前のことであるが、オリジナルであるというのは、必ずしも私の展開する論理が今まで世界中で一度も発表されたことがなかったという意味ではない。私が他で聞いた意見の受け売りではないという意味である。そういった点から考えても、Tack'nsは、私が賛同する意見を広めるための拡声器ではなくて、拡声器に向かってしゃべる口舌そのものであると言えよう。
(1997)

リンクと紹介

——— 「コピー厳禁」と表示した紙資料があるが、コピーの可不可は著作権法等の規定で判断される事柄であり、こんな片言には何の効力もないはずだ。不当な表示と言わずに何と言う。
Click Critiqueより

 インターネット上にパスワードも付けずにページを公開し、しかしそれへのリンクを拒否するというのは態度として明らかに矛盾している。また、リンクを禁止する法的に正当な権利など存在しない。従って、Tack'nsへのリンクも自由である。トップページ以外へのリンクを作成することも当然構わないが、アドレス(フォルダ構造やファイル名)は変更する可能性もあることに注意されたい。

 また、同様の理由から、私はTack'nsの中で、特に断りなしに他のサイトへのリンクを作成している。リンクフリーと書いてなくてもそうであるし、仮にどこかにリンク禁止と書いてあったにせよ、それが自然と私の目に触れることがなかった場合は同様である。不都合がある場合は、当該ページの管理者本人からこちらまで連絡いただければ、削除するつもりだ。

 リンクと盗用は違う。当ページのコンテンツ(例えば画像やプログラムなど)を、別のページの一部であるかのように埋め込むなどはもってのほかである。また、引用と盗用も違う。適法な「引用」の範囲は、著作権法(第32条)に定められているとおりである。引用元を明示せずにコンテンツの一部または全部を引用し、それが引用先のページの創作であると錯覚させるおそれがあったり、当ページの引用が引用先ページのコンテンツのほとんどを成す場合は、盗用と同様であり、著作権の侵害にあたることは言うまでもない。

 当ページへのリンクを作成して頂ける場合、バナーやバナースクリプトも用意しているので、こちらを参照されたい。

採点投票システムについて
 2002年9月より、当ホームページのほとんどのコンテンツに、採点投票を行えるような改造を行った。この手製の投票システムは、実際には各HTMLにたった一行のssiを記述するだけで良いという優れものである。また、同じ点数への連続投票はカウントしないような工夫を施してある。簡単にまた抵抗を与えず読者からフィードバックを得られるようにという思いで作成した。気軽に採点投票に参加して欲しい。

 投票システムを設置するにあたっては、投票の基準に関し非常に迷った。本文の主張に「賛成」であるか「反対」であるかという投票等もあり得るからだ。しかし賛成・反対で論じられるトピックばかりではないし、仮に主張には反対であっても着眼点や論理の展開は評価できる、という場合もあるだろう。最終的に、私は漠然とした「採点」という言葉を用い、敢えて採点の基準をこちらから明確にせず、思い思いに「採点」してもらうという道を選んだ。単に面白かったかどうか、で採点してもらうのでも、良いと思っている。

※投票システムの他のサイト様へ提供は、行っておりません。

日付の記載について
 当サイトのコンテンツにはそれぞれ、掲載日が記されている。執筆時点において私がしていた主張は、その後、状況が改善されて現状に即していなかったり、陳腐化していたり、時代錯誤だったりすることもあるだろう。その場合においてもトピック自体はそのまま残している。つまり、当サイトのコンテンツ全てがそのまま、現時点での私の主張であるとは限らないと言うことに注意されたい。また上記の理由から現状に即していない主張もそのまま残されているが、掲載日の時点では目新しい主張であった場合も多々あると考えている。

 なお、日付の記載のないトピックは1997年以前に執筆したものである。


ギャグ
 笑いのセンスというのものは人それぞれという面があり、私が大受けしているものにある人は冷ややかかも知れないし、逆にその人がお腹を抱えて笑っているものに対して私は自分のツボとずれて面白いと思わないこともあるだろう。

 それぐらいならまだ良い。もっと困るのは、ある人がジョークのつもりで言ったことが全然通じず、聞き手がジョークだと分からないというような場面だ。時にこれは最悪の事態となる。

 しかしギャグは真顔で言うから面白い、というのも事実だ。いちいち「ここは笑うところです」と書くほど野暮なことはない。そんなことにこだわるものだから、私は誤解されて時に反感をかい、場合によっては「とんでもない奴だ」と思われることになる。「なら書かなければ良いではないか」と思うかも知れないが、私としては私と同じセンスを持った人なら必ず笑ってくれると思って書いているのである。ユーモアは自分で「思い浮かべた」ものではなく、たまたま自分の脳に「思い浮かんだ」いわば神の産物とも言うべきものだ。つまりは預言だ。ならば、それを口に出して人々と分かち合うことをしなければ、人類共通の財産を一人葬り去っているも同然と言えよう。

 そう言うわけで、ユーモアという目的から、トピックの一部を(またはトピックの一部に)ギャグで書いていることがある。たとえば ここの後半はギャグだし、特に最後の部分はかなりのオチだ。 ここの最後の一文など当たり前のようにジョークだ。センスの悪いやつだと思われるなら、それは仕方のないことである。

コメントシステムについて
 最近はやりのblogでは、簡単に読者がコメントを入れられる仕組みを備えたものが多い。Tack'nsにも2004年4月より、各ページにコメントシステムを設置した。例によってこの手製のシステムは、実際には各HTMLにたった一行のssiを記述するだけで良いという優れものである。

 このシステムでは1,000文字までのコメントを記入できる。タグと半角カナは使用できない。また、メールアドレスは公開されない。もちろん、本文と無関係の内容の投稿や、公序良俗に反する内容の投稿は禁止とする。2004年11月より、投稿内容の確認画面を挟むように改造し、あとから自分の投稿を編集・削除できるように改造したので、気軽に投稿して欲しい。

 メールは結構な数を受け取っており、その中には私信に葬っておくには勿体ない、有用な指摘や意見もある。コメントシステムの設置趣旨は、寄せられた意見の公開を自動で行うことである。

 また、このシステムは読者と管理人のコミュニケーションを目的に設置したものではない。そこで、原則として、管理人はこのコメントシステムに投稿/返信をしないということを付記しておく。また、管理人が何かを書き込んだ場合には、読者の投稿とは別のスタイルシート属性で表示されることとなろう。

※コメントシステムの他のサイト様へ提供は、行っておりません。
※本文と無関係の内容、公序良俗に反する内容、荒らし目的(結果として荒れることを含む)の投稿は禁止です。不適当なコメントは、削除いたします。
※コメントシステムへの投稿内容の著作権は、投稿者に留保いたしますが、管理人はサイト内(及びそれに関連する出版物)において無償で二次利用する権利を有するものと致します。この規定は本日(2004.11.2)以降の投稿に適用します。


ページビュー表示について(2005.1)
 だいぶ前に、Tack'nsからアクセスカウンタを排除したことをこのページに記していたが、現在はトピックごとのアクセスカウンタとして復活させている。例えば採点投票の結果を見るにしても、母数がいくらなのかを知りたくなるのは当然である。私自身もどれほどの人がその記事を読んでいるのかを知りたくないと言えばウソになる。

 ページビューは各ページの採点投票グラフの下に記載されている。これは、2004年10月13日からの累積カウントである。それ以前に書かれたトピックに関しては、2004年10月以降のもののみがカウントされている。

 このカウンターは、私自身のアクセスと、いわゆるロボット型検索エンジンのロボットによる巡回は、カウントしていない。一方で、同一アドレスからのリロードはカウントに入る。例えば、あるページにコメントを投稿し、その反応を見るためにときどきチェックするというのは当たり前の行為であるだろうが、それらは全てカウントされる。従って、純粋にそのトピックを読んだ人数を表すものではない。(このことは、アクセス元のアドレスを記録していないことの消極的な証明でもある)

検索キーワード表示について(2005.1)
 大手の検索エンジンで検索をし、そこから当サイトのトピックへ訪れた場合に、どのようなキーワードで検索したのかを示すものである。特に説明の必要はないだろう。同じキーワードで検索して訪れた分は、「×n」の形で表している。表示スペースの都合から、記録されているうち上位20個までが表示される。

 検索エンジンの仕様の変更であったり、それ以外の理由から、いつまで正確に記録できるかは分からない。メンテナンスをするかどうかも、現時点では何とも言えない。現在でも、一部に文字化けや不具合がある。

 何のためにあるのかと言えば、特に意味はない興味本位である。アクセス数を増やすことが至上命題な商用サイトであれば、きっとこれらはとても大切なデータとなるのだろう。そうでなくとも、第三者が見てもそれなりに世間の人々の動向や趣向を知ることはできる。マーケティングなどに役立ててもらえれば幸いだ。

「ひとりごと」について
 2004年10月より、blog風のコーナー「ひとりごと」を設置した。

 本編に書くほどでもないと思って書かなかったことが、これまでたくさんある。それらを掲載することがコーナーの設置目的であり、何も楽をすることが目的ではない(Tack'nsは本編でもテキストデータからHTMLとindex.htmlを自動生成する仕組みを取っており、楽という意味では同じだ)。従って、これにより掲載するコンテンツは増えるものと考えている。

 それらは、まとまった意見になっていなかったり、単なる感想であったり、単なる疑問であったり、いろいろだろう。また、「ひとりごと」に書いたことを別途きちんとまとめて本編に書くというような、本編トピックの草案になることがあっても良いと考えている。

 実は、blogという言葉を知る前の2002年頃、Tack'nsの執筆を管理用Formからブラウザ上で書き込み、cgiで自動的にコンテンツを蓄積するような改良を検討したことがある。しかしこの方法だとデータがサーバにしか蓄積されずコンテンツの保全性が弱いこともあり、採用しなかった。いつしか、正にそれを実現したblogが普及し、個人ホームページとはそうやって書くものであるかのような情勢になってきた。これも時代の流れであろう。

 「ひとりごと」は日記ではない。極力、私の思ったことや感じたことだけに的を絞り、逆に私の行動を記述するものにはしないつもりだ。仮に行き場所の記述がある場合には日時を明示せず、日時が分かる記述には場所は明示しない。また、居合わせた人が誰であるかが分かるような記述もしない。「ひとりごと」設置当初はぶれていた面もあるが、これを方針として貫きたい。

※ひとりごとシステムの他のサイト様へ提供は、行っておりません。




プロフィール


Tack'n

19xx年に東京都に生まれる。
自称、著述業。

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