都心と新都心の関係は、大阪と新大阪の関係であり、新都心ができたからと言ってこれまでの都心が壊されるわけではない。先日、さいたま新都心がひそやかにオープンされたが、私はこのような動きをまったく歓迎できない。
そもそも、集中していることによって便利になっているのが都市である。言いかえると、集中しているところを都市と呼ぶのだ。従って、都市とは、もともと中心部が存在し、そこに機能が集積する習性を持っていると言えよう。そこにいろいろ集まっているから、人はその中心部に行きさえすれば用が足りる。
頻繁に行き来する必要のある企業であれば、立地は近い方が良い。それが発展した形態が都心のビジネス街である。しかし、新宿副都心に始まる副都心構想は膨らむ一途で、バブル期には幕張(千葉市美浜区)や横浜みなとみらいに“都心”を作ろうとした。そして今、さいたま新都心なのである。これらによって一体誰が便利になったのかをじっくり考えてみるが良い。
それまで横浜に住んでいる人が東京都心,例えば大手町に通うことはそれほど難しくなかった。しかし、その職場が幕張に引っ越してしまえば、通うのはほとんど不可能になってしまう。それは移行期の問題に過ぎず、最初から職場が幕張にあれば千葉に家を構えるんじゃないか、といった反論もあろう。しかし、転勤や配置転換の多いサラリーマンではそれは大変なバクチになる。いつまでも幕張勤務のままでいられるとは限らないのだ。そういう意味でも、都心への一極集中こそが、大企業の人事異動を可能にしていたと言える。職住近接を実現できるはずだった分散核都市、新都心構想が裏目に出て、実際には超遠距離通勤(例えば横浜→幕張)や単身赴任を増やす結果になってしまっているのだ。
通勤は、都市圏内の分散化がもたらす弊害の一例に過ぎない。通勤だけでなくとも、物流に関しても、商談にしても、とかく移動が多くなる。分散核都市への移行がまるで都心の渋滞を緩和するかのように推進派は唱えるけれども、移動に関する本質的な需要が増大してしまい、渋滞は都心だけにとどまらなくなる。例えばそれまでは大手町だけに混雑が集中していてすんだものが、横浜−幕張間まで混雑するようになるのだ。しかも都市の成り立ちから考えても、たいていの場合それは都心近くを通る交通でもあるというオマケ付きである。
では一体どうしてこんなことになってしまうのかというと、一つには地方分権の議論が背景にあろう。これこそが私がこのトピックで最も主張したい点である。
分散核都市化は地方分権の履き違えである
この間違いを犯さないためには、私が前半で述べてきた都市の本来の機能・意義をキチンと見つめ直すことだ。私は
地方分権にも賛成だし、
首都移転についてもはっきりと賛成派である。にも関わらず、一つの都市圏の中でみれば、分散は反対である。地方分権と分散核都市とは別モノなのである。
一つの都市圏の中で分散させる必要があるのは、一つの都市圏にたくさん必要なものである。都市の規模が大きくなるにしたがって、数も必要になるもの、と表現しても良い。病院、デパート、各自治体の役所やその出張所などである。
どういったものを分散化させるべきかを判断するには、それにより余計な交通が増えないかどうかを考えると良い。病院やデパートが周辺地域(東京で例えれば立川、大宮、柏、船橋など)に増えれば、その地域から都心への交通は減る。しかし、都庁が都心から新宿に移れば、一般には都心から新宿への分だけ交通は増えるのである。新宿方面の住民や企業にとっては交通は減るだろうが、首都圏全体でみれば確実に増える。これを大規模にやってのけようと言うこころみが、みなとみらいであり、幕張新都心であり、さいたま新都心なのである。
このことを実感しやすいのは、幕張メッセ(日本コンベンションセンター)であろう。見本市や展示会が幕張に移転して便利になったのは、千葉方面に住居やオフィスを構える一部の人に過ぎない。幕張は都心からかなり遠い。大体において新都心の類は、面積規模に比べて交通網がやたらと脆弱で、大変不便である。幕張も例外ではない。駅は一つしかなく、列車の本数は少ない。おまけに駅から幕張メッセまでは結構遠く、海からの風が吹き荒れて冬はとても寒い。このとき我々がもう一つ実感しなくてはいけないことがある。
新都心計画が自治体と地元団体によっておもちゃにされている
地元のおまつり騒ぎで新都心を作っただけではない。次に、その発展の起爆剤として有力な施設を移転して来てしまったり、様々な企業や展示会を誘致する。そして、その配置たるや、およそ利用者のことを考えていない。幕張メッセが幕張駅から遠いのは、多分に意図的なものであると考えられる。幕張メッセの例で言えば、二つの犠牲が払われている。
・幕張新都心の発展のために、有力なイベントを誘致し、千葉方面以外の人を強制的に幕張に来させる
・幕張新都心全体の発展のために、有力なイベント会場である幕張メッセを駅から遠くに立地させ、来客を長い距離を歩かせることで街全体を活性化しようとしている。
他の地域から来る人々にとっては幕張メッセと駅は直結しているのが一番良いが、それでは幕張地域の活性化(飲食店売上から、人通りといった活気も含めて)につながらない。そういった地元のエゴにより、我々は不当に不便を強いられているわけである。
さて、幕張メッセはホンの一例に過ぎない。いずれにしても新都心の類で行われていることは、結局のところ、地方自治体が地域のことだけを考えて赤字空港を作ったり新幹線を建設させるのと変わらないのである。そればかりではない。単に税金の浪費で終わる国土レベルの分散化ゲームに加えて、都市圏内の分散化ゲームは、都市圏に住む人々に無用な不便を強いるという意味で、さらにタチが悪く、相当に非難されなければならない。
新都心と都心は大阪と新大阪の関係であるが、都心に代わるものであったり、都心の一部を持ってきたりしてはいけない。さいたま新都心では埼玉県内部の都市機能を集中させるだけで十分だし、幕張も千葉の都としての繁栄にとどまれば、いよいよ魅力も増すだろう。いたずらに首都圏レベルの集客力を持つ機関や施設を誘致し、自らの繁栄のために首都圏の他の地域の人々に不便を強いるようでは、繁栄するどころか目のカタキにされるばかりで、いつまでたっても一人前の“新都心”であるとは認められる日はやっては来ない。