図書館というのは、考えてみれば、この著作権全盛のご時世にあって実に不思議な存在である。著作権者の了解なしに勝手に、しかも無料で本を貸し出す。江戸時代から貸本屋は存在したが、昨今ではマンガ喫茶なる業態も普及して、随分と著作権が侵害されること甚だしいという考え方もできる。
一般に、本は二種類のものに分けられる。それは、簡単に言ってしまうと、「ただでもいいから読んで欲しい本」と「ビジネスとして書いた本」である。前者は、主に論説などである。たとえば『東京に原発を』とかはそうだろう。これは、意見をいう媒体(メディア)として本を利用したまでであり、意見を伝えることが第一の目的なのである。後者は、おそらく情報集約型の本(特に辞典類や地図帳、統計、ガイドブック、趣味や雑学の本、同じことについてすでに他の出版物がある学術書・参考書など)と、娯楽型の本(多くの漫画類、娯楽小説、多くのタレント本など)があげられる。これらは金儲けが第一にあり、その手段として著作活動を行なっていると言えよう。
後者は、多くの娯楽映画と同じように、れっきとしたビジネスとして、売上を見込んで書かれているのだから、勝手に貸し出してもらっては当初の出版した目的を台無しにされていることになる。皮肉なことに、その部類には「辞書」「百科事典」など、高価で個人では買いにくいものも含まれている。この種の書物でも高額なものは、逆にほとんど図書館の購入の売上で成り立っているのかも知れない。いずれにしても、著作者に無断で貸し出せるというのはどう考えても奇妙なのである。一方で、前者は多くの人に読んでもらいたい本だろうから、図書館に並べられることは、メディアとしての効力を加速するので、大いに望むところでると考えられる。
さて、これはあくまでも「著作権」という立場からのお話である。図書館の第二の意義は、おそらく人類共通の財産である(本という形でまとめられた)情報・思想を利用しやすい形にするというイミがあるに違いない。しかし、これは断じて「本」だけの特権ではないハズだ。意義のあるドキュメンタリー番組のビデオや、利用価値の大きいコンピューターソフト、辞典のCD-ROM、政治的・思想的含蓄の大きな映画など、全て図書館が肩代わりして購入し、タダで貸し出してくれるというのでなければ、スジは通っていない。しかも、それでも、スジの通った選択肢は次のどれかであることは声を大にして言っておきたい。
・図書館は、本と本以外の全てのメディアに関して、無断で無料の貸し出しをする。
このとき、ロードショウ中の映画を図書館ではタダで上映するサービスを行なわないとスジは通らない。
・図書館は、本と本以外の全てのメディアに関して、論説などの「タダでも読んで/見て欲しい」ものだけを選択的に貸し出す。
但しこのとき、その二つを公正に区別する手段はないといって良い。
・図書館は、著作者に了解を得た本と、著作者に了解を得た「本以外のメディア」についてだけ無料で貸し出すことができる。
三番目が一番いいことはいうまでもない。誤解しないで頂きたいのは、あくまでもスジを通すためには、ということである。なんでもスジを通すことがいいのかというのとは、別の問題である。だから図書館はスジこそ通らないが現状でナァナァにしておいた方が賢明だという意見には、特に反対するつもりはない。しかし、スジの通った新制度とは次のようになるだろう。
・全ての著作物は、著作権者が『無断貸し出し禁止』を設定することができる。(当然これは過去の著作物にさかのぼって設定できる。)
・貸し出し禁止が設定された以上、公的図書館といえども貸し出すことはできない。
・閲覧は本屋でもできるので黙認という形になるが、あくまで本屋でもできる程度のことという観点での黙認なので、図書館の貸し出し禁止コーナーでは椅子と机を撤去し、写し取ったりすることも禁止する。
さて、新制度の施行後、どれだけの書物が「貸し出し禁止」になるだろうか?