「新しい日本語を作る会」 敬語の廃止(1) | 2004.9.13 |
昨今の敬語の乱れについてはしばしば新聞等で指摘されるところであるが、複雑な敬語の仕組みが乳幼児や外国人等の日本語の習得に際し著しい障害となっていることは疑いがない。
しかし、相手を敬う気持ちを表現することは、大切である。問題は敬語が存在することではなく、敬語が難しいことである。多くの動詞について、対応する敬語を暗記しなくてはならないのが現状なのである。
現在の例:
「食べる」→「召し上がる」
「見る」→「ご覧になる」
「言う」→「おっしゃる」
しかし、これは考えてみればばかばかしいことである。日本語には「尊敬」を表す便利な助動詞「れる・られる」が存在する。従って、暗記に必要な単語数を削減し、表現の統一を図る目的から、尊敬語は全て廃止し、敬意を表するときには全て助動詞「れる・られる」を用いるものとする。
例:
「召し上がる」→「食べられる」
「おっしゃる」→「言われる」
表現の統一を徹底するため、「お・ご」と「になる」を組み合わせた用法も一律で禁止とし、全て「れる・られる」を用いなくてはならない。
例:
「お尋ねになる」→「尋ねられる」
「ご覧になる」→「見られる」
「お休みになる」→「休まれる、寝られる」
「お亡くなりになる」→「亡くなられる」
当然、慣用表現も例外ではない。
例:
「仰せの通り」→「言われた通り」
「右手をご覧下さい」→「右手を見られて下さい」
また、従来使われていた「謙譲語」も全て廃止とする。自分がへりくだることによって相手に敬意を表す場合には、いかなる場合も、「つかまつる(仕う奉る)」を用いなければならない。
例:
「申し上げる」→「言いつかまつる」
「拝見する」→「見つかまつる」
「参る、参上する」→「行きつかまつる」
以上を徹底し、廃止された古い尊敬語や謙譲語を使うことは、返って相手に失礼になるということを肝に銘ずるべきである。
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