供給者が裏で示し合わせて価格を談合し、価格競争を避けることで利益をむさぼろうとする、いわゆるカルテル等の行為は、市場原理の大きな穴である。もちろん、それは法律で禁止されている。数社だけである市場を独占する(寡占)と、こういったことが起こりやすくなる。しかし、ある商品を供給する主体が一つしかない場合、これはカルテルよりももっとひどいことになる。
果たしてそんな商品があるのだろうか?と考えるかもしれないが、著作権付きの商品というのは正しくそれである。全てがそれに該当する。もっとも、ノウハウ本や辞書のようなどれを買ってもまあそれほど変わらないものは別かもしれないがこれらは特殊な例だ。カップヌードルとカップスター、メンソレータムとメンターム、ウォークマンとその他のポータブルカセットプレイヤーはそれほど変わらず、代替性もある。しかし、著作物は違う。違うものは全く違う。見事なまでに違う。違うものでは意味がないのだ。
一般に、著作物というのは同じものは他の著作者からは供給されない。いや、してはいけないのだ。そのことこそが著作権というものに他ならない。したがって、例えば本であれば、読みたい以上、どんなに高くてもその出版社のものを買うしかない。鉄腕アトム読みたければ手塚治虫の書いた鉄腕アトムを買うしかないし、宇多田ヒカルの歌が聴きたければそのレコード会社のものを買う以外にない。鉄腕アトムが書店にたまたまなくてドラえもんを買ってきたとしても、また次に書店に行ったときに鉄腕アトムをさがすことになるだろう!!
著作物は、供給元がその「著作者」ただ一人であり、これは「独占」に他ならない。
一対一の売買は売り手が有利である。「相手が欲しがっている」ことが分かれば、足元を見て値段をつり上げることができるからだ。ここで決まる値段は、売り手が負担したコストや経費や必要な利益などとは関係ない。売り手の意図はただ一つ、「原価さえ割らなければいくらでも高く売りたい」のである。一方買い手はどうか? 彼は相手がその商品を仕入れ、ここへ運んでくるのにいくらかかったかを知らない。だがそんなことは関係ない。相手がこの取引で薄利か暴利かということはどうでもいいのだ。自分がその値段で納得するなら買ってしまうのである。もちろん相手が暴利をむさぼっていると知ると、それは面白くない、しゃくにさわるなどの理由で買い控える人がいるかもしれない。だがそれは合理的な選択とはいえない。彼はあくまでも自分の得る価値と支払う代価の比較で判断すべきである。
しかし、本やCDは売り手は一人で、買い手は多数である。従って消費者は価格を選択できない。唯一存在する価格に対し「買う」か「買わない」の選択をすることだけだ。もちろん値段が上がれば購入に踏み切る人の数は減る。しかし買う人は買うのである。売り手からすれば、より多くの人に売るよりも、少数のうんと高く買ってくれる人に売る方が利益が取れる場合だってある。つまり、この場合において市場原理は、最大多数の最大幸福を実現しないのである。
通常この問題は、売り手と買い手が複数いることで解決される。しかし、著作権のある商品は、売り手が複数いないのでこれが出来ないのだ。
「独占」を許可する場合、それなりの規制と条件が必要だ。
ある企業に独占状態を認める場合、通常、法律や政府は、独占させるだけのまっとうな理由の他に、規制も与える。例えば、電力会社やガス会社、鉄道会社も事実上の地域独占といって良いだろうが、こういったものは勝手に値上げをして消費者に不利益を与えないよう、通常は価格を認可制などにする。さらに、特定の利用者に対しサービスを提供しないなどといったことはできない。
著作権に関しても、こういったことが行われたとしても全く不自然ではない。確かに著作物は確かに生活に必ず必要なものではない。だから、価格に対する拘束はそれほど必要ない。しかし、供給元が自分だけであること、独占状態であることを良いことに、相手に不利益な取引を強要してはいけない。これが私が言いたいことなのだ。
「独占」状態を利用して、過度な権利を主張するのは、優越的地位の濫用にあたる。
この「優越的地位の濫用」というのは、独占禁止法にも規定されているレッキとした禁止事項である。そもそも特別に「独占」が許されているのが著作物である。その独占を良いことに優越的地位の濫用を行なうというのはもってのほかだ。
私がここで、著作者が優越的地位を濫用していると思うのが、
最初のページで述べたような事件の類である。例えばある曲が、最初から高いのならまだ良い。「高くても売れた」と解釈されるからだ。しかし、消費者に1,000円でCDを売り、テレビやラジオではどんどん放送され、耳に残り、定着し、流行った曲は、店舗等でも利用されるのが当然だ。その段になって高額の著作権料を要求するというのは、ヤクザの手口だ。何しろ、店舗が流行りの曲をかけようと思ったら高額の著作権料支払うしかなくなるのだ。
もっとも、こういった問題はJASRACが著作権料収納代行を法律により独占していた経緯、そして今も事実上独占していることによるものが大きい。そうでなければ、お店で自分の曲をかけて欲しいアーティストは、著作権料を下げたり要求しなくなっても不思議はないので、競争の起こる余地がある。著作権者一人一人が必ずしもうるさいわけではなく、作曲家本人は全然OKでも、JASRACが許さないというだけであることも全然起こりうるわけだ。JASRAC独占の弊害は大きい。
日本音楽著作権協会(JASRAC)の意見が、著作権者全体の意見であるかのように錯覚しやすいが、全ての著作権者が分からず屋であるとは限らない。
カラオケボックスも一室あたり月に数万円の著作権料をJASRACに支払うらしいが、この金額もJASRACの一存で上げられたらたまらない。すでに投資してしまったカラオケボックスにとってこれは死活問題になる。とにかく、独占状態を利用すればいろいろな不公正な取引を要求できるだろう。そういったことを規制するのもまた、著作権法の役目であるはずなのだ。