理科系を粗末にすると国が滅ぶ
 現代の日本社会では、一定年齢を超えると、理科系と文科系はお互いに男性か女性かというほどあたかも先天的な違いであったかのように互いに区別し、自分の側の立場や既得権益を守ろうとしがちである。しかも、誰もが一旦は同じ岐路に立って、それぞれが何らかの理由で理科系なり文科系なりを選択したのにである。

 まず、国力、経済的な競争力を日本が国際社会において高めるに当たっては、国土も狭く資源も乏しい以上、技術集約型の工業が不可欠である。また、純粋な科学技術力としての基礎研究も欠かせない。そういった企業や大学の研究・開発分野に優秀な人が行かなくなるのは、国家の危機であるととらえなければならない。

 そこで人生の二者択一の岐路に立たされたとき、理科系と文科系を選ぶに当たって、現在の日本の状況では極端に文科系に傾きやすくなっている。私が本稿で一番問題点として指摘したいのはこの点である。理科系に進むか文科系に進むかは、自分がどっちの分野の勉強が好きだとかいう観点以外に、進学先での忙しさや、就職のこと、職種のこと、出世のこと、収入のこと、権力のことなども考えて選ぶことになる。全ての学生がここまで考えられるかは分からないが、そう考えて選ぶ人、とりわけ大学での忙しさを考慮して選択する人が少なからずいることは確かである。しかし、だからといって彼らは責められない。制度がそうである以上、個人が将来を見据えてこの重大な二者択一に望むのは至極当然のことだからである。したがって理科系を選ぶ人としては、

・たしかに理科系の勉強も好きであるが、先の出世などのことまで考える先見性のない人
・もともと出世欲や権力欲などがあまりないタイプ
・あまりにも理科系の研究が好きで、そのためには出世や進学先での忙しさは気にしない人

などがあげられる。3つめのタイプは正に理科系に進むべきだ。また、1つ目と2つ目のタイプが、次のようなよくある理科系への非難に対応するものである。「人間的なバランスに欠けていて管理職には一般に不向き」「知識が偏っていて専門分野のことしか分からない」…… しかし、これは理科系の素質を持った人が本来的に持ち合わせている性質ではなく、むしろ現在の状況ではこういう人こそ理科系を選択してしまうようにしむけられているというべきである。「理科系人間は偏っていて出世欲もなく好きな研究をやらせておけば満足している」というのは大きな間違いで、そういう人しか現制度下では理科系に流れないだけなのだ。必要な出世欲や財産欲などを満たすだけの保証があれば理科系で大いに成果を上げられるような理科系の素質あふれる人材が、この制度・状況下で文科系に逃げてしまっているということは、見逃せない重大な事実である。要するに、理科系にはインセンティブがなさすぎるのである。

 従って遠い将来の目標としての出世や給与、より極端には発明に対する政府からの報奨金や法人名義特許の廃止など制度面で見直すことが避けられない。そして、大蔵省や文部省その他の省庁にも適切な意見をできる者(本質的には理科系の人である必要はないが、人間は悲しいかな自分の立場の擁護をしてしまうので、理科系の人であるに越したことはない)を相当数おくべきである。管理職への登用ももっと積極的に行う方がよい。管理職として人をまとめる能力やマネージメント能力は文科系の人の方が高かったとしてもである。

 当面絶対に改革が必要なのは、大学生活だ。就職後の生活を別にしても、この4年間の生活だけで考えてすら明らかに文科系が魅力的になっている。受験勉強の負担の軽さ、合格のしやすさ、そして大学入学後の負担の大いなる差である。これを同レベルの負荷にしなくては、理科系の質は落ちるばかりである。だからといって理科系の負荷をこれ以上軽くすると必要な素養を身につけらない。となれば、文科系にある程度負荷を与えなくてはならない。この種の極端な意見では、「文科系入学者はその80%しか卒業させなくする」という案を耳にしたこともある。必修科目を増やし出欠をとるとか、そういう姑息な手段によってもよい。

 驚いたことに、この現状にあって学費の学部間格差導入すら検討されているのである。すなわち、比較的設備等に費用のかかる理系の学部を、文系の学部よりも学費を高くするというのだ。まさに本章の論旨の逆をいっている! これは大蔵省の予算削減のための圧力のひとつであるが、今のところ文部省が反対しているため、実現はされていない。

 もともと教育には二つの側面がある。まず一つは個人として社会で必要な教養を身につけること、つまり社会役に立つことを教えることである。これは利益が被教育者個人に還元されるものである。もう一つは、社会全体で必要な研究要員・技術要員を輩出することである。これは利益が社会全体に還元されるものである。つまり社会役に立つことを教えるのだ。文科系の科目に前者の性格が強く、理科系の科目に後者の性格が強いのは明らかだ。そして後者の理念から輩出された研究要員(それには文科系の経済学者から理科系の物理学者までいるわけだが)にもそれなりの野望と欲を満たすものが約束されていなければ、好き好んでこの要員に成って研究にいそしもうと考える者の数も多くはならないはずだ。

 そして実生活で役に立たないと非難囂々に言われる三角関数や電磁気の法則をみんなに学ばせるのは、とりあえず全員に課してみて、その中からそれが好きになる子、向いている子、素質のある子を発見し、またその子たち自身をその科学に触れさせるためといえる。もしこういった教育がなければ素質のある子の大部分は科学のおもしろさに触れることなく文科系に流れてしまうだろう。もちろんある一線を越えたら文科系に物理や数学を押しつける必要はない。ただ、相応の負荷を与えてやることが(そしてその負荷は将来実を結ぶものであることが望ましい)必要である。一方で理科系の学生に対し歴史や倫理を学ばせるときは、まるでそうしなければヤツら核爆弾をつくりかねないといわんばかりであるのもどうであろうか。まあそれはともかく、理科系の学生に世界史や倫理を学ばせるのは私も賛成である。それは社会人として必要な教養であるし、またその方がこの社会で生きていく上で彼ら個人が有利だからだ。

 この問題は、「理科系の人数の減少」よりもむしろ「理科系学生の質の低下」という目に見えない形でしのびよってくることとなろう。それは、もう、始まっている。



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