—— 先生は前に、人間は後悔したくないから、選択と決断を避ける傾向があるとおっしゃいましたね。
とはいうものの、実際には本当は後悔すべきでも後悔しないことも多い。これは、人間の精神衛生のために神様が仕組んで下さったのだろうか。私は神など信じてはいないが、驚くべきことに、実際にそうなのだ。後悔は、確信的な後悔ではなく、多くは推量的な後悔にとどまる。このことで、われわれは非常に助けられている。
—— 良く分かりませんが……、どういうことでしょう?
例えば、渋滞している高速道路を避けて、抜け道を行ってみたとしましょうよ。抜け道だってそこそこ混んでいるし、遠回りでもある。しかし、抜け道を通って目的地に行ってみたところで、それが正解であったかどうかは通常分からない。仲間同士でお前は高速、おれは抜け道、みたいなことをして比較でもしないと、自分の選択が正しかったかどうかは分からないのだ! しかるに、ただでさえ混雑している日なのだから、どっちの選択肢をとってみても不満は残り、もう一方の選択肢をとっていれば……というように思えるわけ。これは精神衛生上良くないわけです。
—— なるほど、確かにそうですね。
どうせ分からないのなら、自分の取った道が正しかったのだ、と思う方がいい。どちらか一方しかとれない選択肢では、通常結果の比較ができないので、どちらが最善の選択肢だったかは分からない。これが、運命の分かれ道というやつですな。
—— はい。どういうことですか?
あのときこうしていたから、今の私がある。あのときああしていなかったら、エライ目にあってたな……と思うのも本当はおかしいわけです。あのときこうなっていなかった場合の結果は分からない。そいつは、永遠に分からないのだ!