最近腹の立つこと
50円玉の補充具合で、私はサービスを測りたい
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切符でもジュースでもそうだが、われわれは自動販売機で何かを購入することがよくある。そして、買おうとするものが110円とか160円とか、半端な金額の場合も多い。
ところが、おつりが80円とか790円とか、当然50円玉を使って支払われるべき場面で、こちらの期待通り50円玉で自販機からおつりが出て来る確率は、残念ながらそれほど高くはない。5枚以上10円玉が出てくるときの腹立たしさといったら、かなりなものである。しかし、50円玉を釣り銭用に十分に入れておくという作業は決して不可能なことではない。十分な50円玉が用意されていないのは、消費者に対する裏切りだ。
私がこれまでに10円玉を持ち合わせていなかったがために(9枚の十円玉が出てくるのを恐れて)ジュースを買わなかったことが何度あるだろうか、数えればおそらく数十回にはなるはずだ。つまり、釣り銭用50円玉を補充しておかないことは、それだけ自販機を設置している業者にとっても確実にマイナスになっているのである。
考えてみれば、店員がレジを打って釣りをよこすときに10円玉が5枚以上渡されるなどということはまずない。仮に釣り銭が切れていてやむなくそうされる場合、店員は一言くらい詫びを言うだろう。それが自販機だと平然となされるということに特に注意しなくてはならない。つまり、彼らは直接に接さないこと、顔を合わせないのを良いことにサービスに手をぬいているのだ。おまけに自販機にそれをされたときに、われわれはどこへ怒りをぶつければ良いというのだろう? なるほど道理でしばしば商品陳列部のプラスティックが蹴破られた自販機を見かけるわけだ。
切符などの販売機で同じような目にあえば、腹立たしさはいよいよ絶大なものとなってくる。切符の自販機の設置は飲料自販機の設置とは意味が違う。飲料自販機は本来それを買うことのできなかった場所に設置することがほとんどだが、切符自販機は切符販売窓口を自販機で置き換えてゆくというサービスを犠牲にした経費節減だ。そこへさらに10円玉攻撃で余計な不快感を利用者に与えようというのである。私は何も彼らが積極的に50円玉の補給を怠っていると考えているわけではないが、そのことは少しも彼らの罪を軽くするものではない。
自販機への釣り銭用50円玉の補充具合を、私は企業のサービス精神のひとつの目安としたい。
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