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先生は、門下生の様々な相談を受けることがあると思います。どのようにして彼らを導いていらっしゃいますか。
彼らの悩みの半数は、単なる心配性から来るものだ。
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では、心配性に対する処方箋はあるのでしょうか。
誰だって、多かれ少なかれ、心配ごとはある。
問題は、その対処の仕方だ。心配事をなくそうと考えるのは、殆ど無益だ。
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どういうことでしょう。
もし心配事をなくすことを目標として、いくつかある心配事を次々につぶしていこうとするなら、その人の人生はそれで終わってしまう。心配な事など、どうせいくらでも出てくるからだ。仮に目の前の心配を全て克服したとしても、新たな心配が出てくるのではないかと心配になる。
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では、どうすれば良いのですか。
人生とは、心配の集合なのである。そのことを受け入れ、多少の心配があって当然と考えなくてはならない。
なぜなら、心配の撲滅を目指していると、ひとつの心配が解決するたびに「これでもう、心配事は減ったかな、なくなったかな」と現状確認するため、また心配事を探すことになる。何かが「ない」ことを確認するためには、探さなくてはならない。そうだろう?
そうして、さっきまでは心配でなかったことまで心配になってくるのである。
心配の撲滅は、どうせ果たせぬ夢なのだ。