最近腹の立つこと
ホームの酒類販売をやめるな
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2001.2.15
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2001.4.17追加
客のニーズと社会的な要請とを尊重した上でギリギリの決断だった----とJRの関係者は強調する。JR東日本の駅売店1,200のうち酒を扱っていないのはわずか60店舗。売上高では約5%の100億円をしめる。酒類の販売中止は「当面」とし、事態の沈静化を待つというのが正直なところであるようだ。(2/22日経流通新聞の記事より要約)
JR東日本の東京・新大久保駅でホームに転落した男性とそれを助けようとした男性二人が亡くなった。この事故が起こった当初、JR東日本は「ホームでの酒類販売の中止はサービスの低下につながるため、今のところ考えていない」と言っていた。
しかし、それから2週間ほどが経過したが、一転してJR東日本は、「一部の駅での酒類の販売を中止することを検討」していることを明らかにした。これは実に悲しいことである。
元来、日本というのは非常に世論の強い国である。今回の事件はただでさえ大きく取り上げられすぎであると感じていたが、これのために酒類販売を中止するとは何事か。私はこういった流れになってしまうことに強い憤りと同時に悲しみを感じざるを得ない。
3人の死というのは余りにも小さい。こういうと怒られるかも知れないが、人が死ぬたびにそれに関わっていた制度を変えるとキリがない。自動車事故で年間10,000人が死んでいても、自動車の利用を禁止しようという話になりはしない。どんなことがらでも始めからいくらかの危険というのは当然存在していて、要はその程度が問題であるのだ。
ホームで酒類が販売されていなければこんなことにはならなかった、と言いたい人もいるだろう。しかし、「○○じゃなければこんな事故はおこらなかった」の○○にあてはまることはゆうに百や千は思いつく。何も酒類の販売だけがやり玉にあげられ、善良な愛酒家に不当に不便を強いるのはおかしい。頻発している事件であればともかく、そういうわけではないのだ。
世論は、高まりやすく冷めやすい。新大久保の事故など、75日もすればほとんどの人は思い出すことなどなくなるだろう。しかし、それをきっかけに取りやめられた酒類販売は75日で解除されるわけではない。後に残るのは、酒を売らなくなったという事実だけである。そんなばかばかしいことはない。
世論とサービスとは全く別物である。JRは企業として、世論の尊重よりも利用客の利便を図らなくてはならない。
そうでなくても列車での移動がクルマでの移動に比べて最も魅力的な点は四六時中酒を飲めることであり、それがなくなってしまえば、良いのは渋滞がないことぐらいだ(その代わり鉄道には「立ち通し」がある)。長距離列車が止まる駅では販売を続けるようではあるが、この動きは全く私にとっては腹の虫がおさまらない。
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