「ドア」というのは、もともと危険な存在だ。普通の扉だって同じだ。蝶つがいの近くに指を入れていれば、風が吹いて扉がバタンと閉まった時に指は簡単に飛んでしまうだろう。断言してもいい、今までに普通のドアに挟まれて死んだ人だって、相当な人数がいるはずだ。だが、普通はドアに挟まれて死んだからといって、「ドアのせいだ」「被害届を出そう」とか「責任をとれ」とかいう問題とは思わない。「源さんそそっかしいから、ついにドアに挟まれて死んじまったよ」の類だろう。回転ドアに挟まれて死ぬような子供は、遠からず他の原因でも死んでいた可能性大だ、と言ったら言い過ぎだろうか。
身近にある危険な装置はいくらでもある。例えば、エスカレーターなど危険きわまりない。長靴のまま足をエスカレーターに吸い込まれた男児の話は数十年前に記事になったことがある。だからといってエスカレーターを廃止するなどという話にはならなかった。そういった事件が我々に教訓として残してくれるのは、「エスカレーターに乗るときは注意する」とか「端の方に立たない」とかいうことだ。
今回の事故だって、森ビルも三和シヤッター工業も、全然悪くなんかない。回転ドアはどう考えても多少は注意して通るべき存在だし、小さい子供連れであれば親は当然子供に注意しながら通るべきである。それだけのことだ。
不幸だったのは、事件が六本木ヒルズで起こったことである。六本木ヒルズは、どういう利害からかやたらとマスメディアに取り上げられた。マスメディアは、持ち上げてからしばらくして落とす、という習性があるのは周知の通りだ。そろそろネガティブな話題も欲しかったところだろう。そこへ、全くおあつらえ向きの事件だったわけだ。森ビルの社長は、世論とマスコミがどう動くかを正しく素早く察知して行動した。見事としか言いようがない。だが遺族がビルに恨みを持っているとしたら、それは筋違いだ。
思い出したようにかつて横浜ランドマークタワーで回転ドアでケガをした子供の親が「被害届」を出したそうだ。普通に考えれば己の不注意を顧みず被害届を出そうなど、考えもつかなかっただろう。だからこそ今まで出さなかったのではないか。世論の追い風を受けてのことである。さらに、雨後の竹の子のようにこういう事実が明るみに出るだろう。「回転ドアで、かくも多数の事故があったことが発覚したのだから、回転ドアはなくすべき」というのは安易だ。全然別の種類の設備だって、ひとたび六本木ヒルズで事故が起こったなら、今まで日本中で事故を引き起こしてきたことが明るみに出るだろう。要は、回転ドアはたまたま注目を集めてしまっただけなのだ。
今回の事故が元で回転ドアを廃止する動きになるとしたら、全くバカバカしい話だ。日本という国はすぐに、一億総ヒステリック状態に陥る。1人や2人死んだからといって、廃止はいきすぎだ。ブランコやジャングルジムでも子供は死ぬことがあるが、だからといって全て撤去すべしという話ではない。交通事故で毎年10,000人が死ぬからといって、自動車を禁止しようなどと言う者はいない。道具は危険なものもある。だがそれは覚悟の上で、それに勝る利便性があるからこそ使うのである。ましてや回転ドアは不可抗力的に人を殺傷するものではない。歩道を歩いていてクルマに跳ねらた歩行者なら殆ど気をつけようがないが、それに比べて回転ドアがなんて安全なことか。回転ドアよりも明らかに優れて気密を保って人を流せるドアの方式を開発できればそれに越したことはないが、だからといって既存の回転ドアを全て置き換える必要もない。
被害者も管理者も政府も報道も、世論を増幅させ、増幅するのを知っていたかのように回り込んで先手の対策を取ったという意味で今回は見事だった。だが過剰反応はこのくらいにして、余計な負の遺産を残さないように処理して頂きたいと思うのだ。実際には世論に媚びるばかりに、回転ドア撤去の動きが広がってしばらくは収まらないだろう。
2004.9.23 追記
どうも、報道から「回転ドアがなぜ必要か」という観点が抜けてるような気がする。すると、回転ドアは単なる遊び心や高級感演出などから設置しているだけだと勘違いする人がいて、回転ドア撤去の世論が盛り上がるのではないだろうか。ということに、最近になって気づいた。
回転ドアは、内外の空気が直接流れない構造になっているため、気密性が高い。だから設置するのである。回転ドアを設置すれば、空調の省エネにもなるし、内外の気圧差を維持することもできる。
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