最近腹の立つこと
おかしな間引き運転
|
1998.1.20
|
もっともらしい理由で行われることについて、我々はその理由に納得するあまり、程度の問題を忘れてしまうことがある。普段からちょっとした暗算をするクセをつけなければ、こういった時にだまされてしまうことになるだろう。「それが必要なことは分かった。さて、どれだけ必要なのだ?」……こういう問いかけを日頃から忘れないようにすることが肝腎だ。
大雪のために首都圏の電車の本数が減ったときもそうだ。運行不能な状態になったときに駅と駅の間に電車が取り残されないように、堂々と列車の数が減らされる事態に至った。もちろん、駅と駅の間に列車が立ち往生し、そこから駅まで歩かされたのでは乗客は悲惨だ。
こういった理屈でずいぶんと列車の本数が減らされたものだ。だが、列車の本数が減るのはサービスの低下である。ふだんと変わらぬ料金のままなら、妥当な理由なしに減らされて良いものではない。そして理由は妥当であったにせよ、それだけで納得してはいけない。たとえ減らすにせよ、妥当な程度以上に減らすのは断じて許されるべきではないのである。
ところが、首都圏のJRでは明らかにそれが行われていた。山手線は一周の所用が60分あまり、駅数が29である。3分間隔以上なら、列車はいつでも駅に止まれる。日中の山手線はもともと3〜6分間隔程度だ。ここに、運転本数が間引かれて良い理由は存在しない。仮に駅間距離が著しく不均一であったとしても、それを上回る程度に間引き運転は行われていた。
多くの路線で通常の6から7割程度の本数しか走っていなかったらしいから、このような過剰な間引き運転はあちこちで行われていただろう。確かに普段より乗客が少ないのだからそれでも乗り切れたかもしれないが、だからといって本数を減らして良いものではない。逆に客が多いからと言って本数を増やしたりはしないではないか。臨時電車というやつもあるが、あれは指定券の収入を上げられるような遠距離の列車に限られる。こう言うと連中は「約款では当社の都合により運転本数を変更できることになってる」と、伝家の宝刀を持ち出すかもしれない。約款を楯にサービス低下を正当化しようとするなら、もうこれは完全に利用者に対する裏切りであり、客を敵と見なした宣戦布告である。
こういった問題は、「あの雪じゃしょうがないね」と片づけて良い問題ではない。数年に一回の大雪のために投資をしろと言っているのでもない。大雪という非常事態に便乗して、当たり前のような顔をしつつ運転本数を減らし、あまっさえそうすることがまるで乗客のためであるかのように言う利用者をバカにした経営が抱える問題の根は、どこまでも、どこまでも深いのだ。
※山手線のような環状列車において、例えば一周60分に対して3分間隔であったときに、運転されている列車の本数は片周りで60÷3=20と計算して良いのだろうか? ある駅に視点を固定すれば、60分たった後に同じ電車がまた目の前を通過する。3分間隔というのは視点を駅に固定した数値であり、それまでに20本が目の前を通過したことになるのだから、この計算は正しいのだ。なお、環状でない列車は上り下りを合わせて一つのつぶれた片周りの環状を成すと考えることができる。
「最近腹の立つこと」に戻る