七桁化で郵便局は経費節減になるかもしれないが、郵便局以外は迷惑もいいところだ。なにしろ、全ての住所記入欄付きの用紙はもちろんのこと、顧客データその他のデータベースを全て七桁化に対応しなければならない。これは、今さわがれている2000年問題と同等だ。郵便番号ほど公共性の強いデータを勝手に都合で桁数を増やすなんて言うのは黙って許されていいことではないハズだ。
言うまでもないことだが、郵便番号の桁数を増やすことは、われわれにとって値上げと等価である。消費者に余計な不便を強いながら、その分浮いたコストが全く我々に還元されないからだ。つまり、
自動改札導入に際する鉄道会社と全く同じことが言えるわけだ。
七桁化するなら、それで浮いたコスト分だけ郵便料金を値下げするべきだ。最初の設備投資でそれがすぐにできないとしても、長期的に見てトクになるから七桁化するわけだろう。今すぐ値下げできないなら、いついつまで郵便料金を据え置くと約束すべきだ。最低でも、それによりどれだけのコストが削減できるかという具体的な数字や、七ケタ化の設備投資を償還できるのに必要な年数を示す必要がある。国家による独占事業なのだから、当然だ。七桁化で浮いた労働力を簡保の営業に回すなんていうことは、断じてあってはならない。自動改札化で出た余剰人員をプリペイドカードの販売員に回すのと同じだ。
問題は、これほど国民の生活と企業活動に大きな影響を与えることを、国民の判断の入る余地がなく決められてしまうことである。7桁化は少なくとも国会の審議を経て行うべきであった。競合他社がいるならば国民は他の郵送手段を選択もできよう。郵便局の、一方では郵便事業を独占を正当化した上で、その重要な政策を勝手に決めるというやりかたは到底だまって納得して良いものではない。国民はもっと国による事業に目を光らせ、警戒し、批判しなくてはならない。今回の件にしても、裏には番号読み取り機の巨大な利権があることは明らかで、我々の7桁の郵便番号を書く苦労は郵便料金に還元されるのではなく、機械メーカーのメシのタネになるだけかも知れないのだ。
なんでも郵便局の話によると、97年末に投函する年賀状からは7桁の郵便番号を記載して欲しいそうだ。バカも休み休み言え。そのために郵便番号表を各家庭に配布するだと? 誰がそんなものを引く!? 我々はもはやそんな律儀な世代ではない。七ケタ化は全く郵政省の勝手だが、我々の手元にあるすでに印刷された名簿の類に記載された郵便番号は、少なくとも次の版がでるまで五ケタのままなのだ。