水資源は都市に欠かせないものであり、同時に自然条件や地理条件に密接に関連しているため供給量を人間の思うままにできない財としては恰好の例である。巨大ダム建設が建設業界にもたらす潤いは別にしても、水不足はかってから人類を悩ませてきた問題であるし、供給に限界がある以上は節水も必要である。
私が今回指摘しておきたいのは、水不足が非常に起こりやすい今日において、水の消費量を減らそうという試みがほとんどなされていないという事実である。公園の噴水を止めるなどというのは、おそらく循環水を使っているのだろうから、ほとんど問題にならない。少なくとも、「節水する」という意志がなくてもそれほど水を無駄遣いしなくて良い環境が必要だ。私の得意の論法から行けば「水道料金を高くせよ」ということになるわけだが、今回は料金制度とは全く別のアプローチをしてみよう。
水の使用量がシャワー文化と共に飛躍的に増加したのは良く知られるところである。ではシャワーでなぜ水の使用量が増えるかといえば、必要ないときにも水を出しているからである。私はこの点に関して次の二つの改善を提案したい。ちなみに、「出しっぱなし」ができない不便さよりもむしろそのコストの方を余計に嫌う公衆浴場では、押してから一定時間だけお湯が出て自然に止まる仕組みが普及していることにも注意したい。
改善はガス器具から始まる。我が家だけでなくどの家庭の湯沸かし器もそうだと思うが、いったん湯を止めてからまた出すと、途中で冷たい水が出てくるのである。入浴中にシャワーから冷たい水が出てくる恐怖といったら、この上ない。ほとんどの人はこの恐怖から逃れるために、なるべくお湯を途切れさせずに出すことを無意識のうちに考えているだろう。ちょっとした節水心からうっかり蛇口を閉めてしまうと、次に蛇口を開いた数十秒後に確実に冷たい水が出てくるのだ。私はこれが技術的に、あるいはガス器具のメカニズムとしてなぜ起こるのかまでは知らないが、現代の科学技術を持って回避不可能な問題であるとは到底思わない。
いま述べたのは節水しようという意志があってもなかなか踏み切れない原因である。それに加えて節水心がない者に対しても自然と節水させるための方策もある。仮にこまめに蛇口を閉めても冷たい水が出て来たりなどしないシャワーが当たり前になったとしても、節水を心がけない人はいくらでもいそうである。必要がないときに湯を止めればいいのであるが、その「必要がないとき」とは何であろうか。立ったままシャワーを浴びる場合は別だが、イスに座ってシャワーを使うときは、シャワーが床におかれている時間が正にそれだろう。床におかれている間は自動的に止まるようなメカニズムを備えたシャワーが開発されれば、その間は節水ができるのだ。
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