最近腹の立つこと
時間泥棒としてのテレビ
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2004.3.24
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私は、もともとテレビが好きな方ではなかった。明確に「見る」つまり意識して視聴する場合以外には、スイッチを切る。BGM的にテレビをつけておくという習慣がないのである。テレビがついていないと淋しい、落ち着かない、と感じる人も多いようだが、私はテレビがついていると騒がしくて落ち着かない。見ないのなら消していた方が良いのである。
しかしここ数年、私のテレビ嫌いはますます進行している。それは、私が「一番大切なもの」と位置づけている“時間”を浸食してくる、身近にして最もえげつない存在であると感じることが多いからである。
テレビ局というのは、直接消費者からお金をもらっているわけではない。一方で、彼らの収入を維持し増大させるには、視聴者の可処分時間を少しでも多くテレビ視聴に割いてもらうことである。それがテレビの広告媒体としての価値を高めるからだ。
一般に消費社会において、悪質な業者が出てはそれを取り締まる法令が制定される、というイタチごっこが繰り返される。訪問販売しかり、マルチ商法しかり、キャッチセールスしかりである。業者が消費者を錯誤に陥れて金銭等を巻き上げれば詐欺罪が成立するが、問題は視聴者の「時間」を騙し取ったとしてもそれを取り締まれないことだ。視聴者から金銭を受け取らないので詐欺罪が成立しないのをいいことに、あの手この手で視聴者をだましてテレビに1分でもつなぎ止め、時間を奪っていく —— それがテレビという存在の持っている一面なのだ。
例えば「CMの後、まだまだ続きます」と字幕を出しながら、CMの後はスポンサーの紹介だけであるなどは、私に言わせれば“時間詐欺罪”である。私が一番嫌いなのは「大物タレント○○が激怒!?」とか「この後、スタジオ騒然!?」とかいった文句だ。この類の言葉に惹かれてテレビを見続けても、殆どの場合、全然大したことはない。生放送で先がどうなるか分からないハズのケースでもこれは行われる。また、“ドッキリもの”もタチが悪い。タレントが本当に怒ったふりをして、視聴者も「本当に怒っているから面白い」と思って見続けると、実は演技だったりする。こういう場合は視聴者も明確に騙されてテレビにつなぎ止められたと言えるのである。
新聞のテレビ欄も、なかなか悪徳だ。視聴者を錯誤に陥れ、大して見る価値のない番組を誇大宣伝している例は多い。番組の内容を端的に書いてくれているとは限らない。テレビ欄は記事ではなくて、テレビ局の宣伝的な意味合いが大きい。とすれば訴え先はJAROにになるのだろうか。
各新聞等に出る番組表の殆どは東京ニュース通信社が作成しているようだが、番組表作成業界にもきちんと競争原理がないと、視聴者の視点から公正に番組を選べる番組表は作成されないだろう。視聴者は「どのチャンネルを見るか」を決めるためだけではなく、「テレビを見るか、他のことに時間を使うか」の判断材料にするためにも番組表を参考にするのである。
こういったテレビ局の行為は、継続・反復的に私を失望に与え、不信感を募らせた。通常、消費者と業者が継続的な関係を築くためには、目先の利益だけを追求したあさましい行為よりは、信頼感の醸成の方が優先されるはずだ。しかし、テレビ局は、あと10分見続けてくれるためならどんなことでもする、という刹那的な行動に走りすぎている。私は、テレビ局を、その場限りの手段で私の時間を浸食しようとする、せこいコソ泥の様にしか捉えなくなってしまった。
視聴者を騙してテレビにつなぎ止めることに対して、“時間詐欺”のようなものを適用できる法令か判例を求めてやまない。そうすれば、消費者センターにも「時間をだまし取られた」と苦情を報告することができよう。
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