解散宣言・「正しい日本語を守る会」
否定の方法
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2001.11.1
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これはどちらかというと、正しい日本語というよりも美しい日本語というべき範疇だ。「コーヒーのおかわりはいかがですか?」と聞かれて「No (no, thank you)」の意を示すときに、一番よく使われる日本語は多分、
「いいです」
である。「いいです」は「良いです」つまり「OKです」に理解することもでき、悪徳商法などで断るときに「いいです」と断ると「契約する」の意味に曲解されトラブルの元になるといわれるが、こういった日本語自体が美しくない。かと言って、
「いらないです」
というのは、これも美しくない。否定語はなるべく後ろの方に付けるのが美しい日本語である。つまり、この場合
「いりません」
という方が美しい響きとなるのである。「いらないです」に比べて「いりません」の方が語調が強いように感じるかもしれないが、「いらない」の意志表示をした後に「です」を申し訳程度に付けた前者の方が、「いらないっ!」という意志が前面に出ているとも言える。
さて、このように書くと、お決まりの日本語批判が出てくる。「外国語は大切なことを最初に並べるので分かりやすいが、日本語は最後まで聞かないと分からない。最後まで動詞も出てこないし、否定かどうかも分からない」という理屈だ。そのとおりである。日本語とは、肝腎なことは最後まで聞かないと分からないようにすることに、奥ゆかしさと美しさがあるのだ。従って、美しさを尊重するなら「いりません」と言うべきだし、肝腎なことを最初に言いたければ「いらないです」と言えば良い。後者なら二文字目まで発したところで心臓発作で急死しても、遺言としての意味は伝わる。
同じ様な例に、「受け身」の用法がある。
「言われ方をする」
「言い方をされる」
意味としては同じだが、後者の方が美しい日本語である。日本語では、助動詞は出来るだけ後ろに押し出した方が聞こえが美しい。しかし、先ほどの例と同様、現在は「言われ方をする」と表現するケースの方が多くなっている。
この場合は、前のケースに比べて、非難されるべき対象である。「言われ方」とは何か? 「言われ方」を私が「した」のか? こう考えると、「言い方」を「された」と考える方が理論的にもしっくりくることが納得してもらえると思う。
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