最近腹の立つこと
命名権に一定の規制を課せ
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2005.8.18
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施設の「命名権(ネーミングライツ)」がはやっている。だが、野放しにしてはいけない。これには規制が必要だ。
なぜか? 命名権とは、第三者に不便を強いることの対価として、金銭を得る行為なのだ。例えば、県立サッカー場の命名権を「○△商事」に与える契約をし、名称が「○△商事スタジアム」となったとしてみよう。命名権で困ることは、少し考えただけでも、二つある。
一つは、命名権なんぞがなければ大抵は、ある程度所在地を連想できる名称であっただろうということだ。全ての事例に当てはまるかは分からないが、多分多くはそうだ。「東京スタジアム」なら東京か近県にあることは想像できるが、「味の素スタジアム」では全く分からない。
もう一つは、命名権に関する契約が終了したり、命名権者の都合で、名称が変わることだ。命名権がなくても名称が変わることはあるだろうが、命名権によって名称の変更の機会が増すのは疑いないだろう。
これらと引き替えに得た契約料は、施設の建設費の償還や保守費用に充てられるだろうから、おそらく利用料金や入場料を低く抑えるのに役立っていると推定することができる。つまり、施設の利用者はその恩恵を被っていることになるので、多少、場所が分かりにくかったり名前がコロコロ変わることをガマンするのはそれほど不条理ではない。
新聞記事や放送などで「○△商事スタジアム」が連呼されると、これこそが命名権の価値があるゆえんだろうが、直接にその施設を利用していなくても不便を被る。つまり、「あれ、○△商事スタジアムってどこだっけ、去年まで□×電鉄スタジアムって言ってたとこだっけ?」と混乱する。それでも、その興業に関する報道を楽しんでいるのだから、これもまたあながち不条理なことではない。施設の経営が立ちゆかなくなれば、試合は行われず楽しみは奪われたかも知れないのだ。
だが、施設を全く利用しない第三者が、もっと不利益を被ることもある。
筆頭は、地図の出版社だろうか。名前が変われば、地図を訂正しなくてはならない。地図の情報が変わることは、新しい地図に対する需要を喚起するから嬉しいことかも知れない。だが、地図を買い換える消費者にとってはいい迷惑だ。
ガイドブックや地図のように、売れるものだけではない。駅や街に掲げられた売り物ではない地図も同様に変更が必要だ。駅の案内板や、道路の案内も同じだろう。これらを修正するには、コストがかかる。そして、混乱というコストを我々に押しつけている。
にもかかわらず、施設所有者から見れば、ほとんど錬金術と言って良い類だ。そんなことが許されていいはずがない。
そうでなくとも、公共性の強い施設の名称に企業や商品名が付いて嬉しい人など、そう居るはずがないのだ。将来、赤字の三セク鉄道の路線名がコロコロ変わったりしたらたまらない。そもそも施設自体が何ら変わらないのに名称が変わるというのは、異常なことだ。
少なくとも、命名権は必ず10年以上の契約とするなど、一定の規制を課して欲しい。
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