いつからか、お笑い番組の受けゼリフが、同時に文字で画面に出るようになった。
技術がそそのかした一時的な悪弊であって欲しい。手を体に当てて「こうやったら笑って下さいってことですから」とやるネタが落語家にあったようだ。テレビが文字で伝達しようとしているのは、まさにこれだ。
上の引用は知人のホームページからのものであるが、最近テレビを見ていて何と言っても気になるのはこれだ。しかし、これもどんどんエスカレートし、現在では「受けゼリフ」どころか、ほとんど全てのセリフに対して書かれていることが、全然めずらしくない。私はこういったとき、イヤになってチャンネルを変えることがしばしばである。
これらは、最近の早口傾向でお年寄りなどがセリフを聞き取れず、そういった苦情や要望に対して過剰に反応したものではないだろうか。一部の視聴者の要望を聞き入れて多数の視聴者に薄く広く不愉快を強いるのは、感心できることではない。そもそも難聴者であれば文字放送の機器を購入し、こういったことはそういうレベルで解決するはずのものだ。
これにも増して、私がここ2〜3年で気になっているのは、コマーシャルの後で、コマーシャルの直前に放映していたフィルムを数十秒分巻き戻して、繰り返し放送することである。何でこんなことをするのかと言う理由が分からないわけではない。(1)CMの後から見始めた人でも分かるように、(2)CMの間に、今までの内容を忘れてしまった人のために、(3)少しでも番組制作の実質的な量を減らすため、……、などであろう。しかしこれらは、ただでさえ退屈なCMを見せられた後にさらに同じ映像を数十秒も見せさせられるという苦痛を多くの人に強いるほどの理由とは思えない。しかもこの重複して流す時間は長すぎる。せめて5秒以内ならそれほど腹も立たないのだが。
擁護するわけではないが、(1)にあげた理由は、見かけよりも強固である。それは、テレビ局が大抵、話の区切りのいいところでCMを入れるのではなく、興味をかき立てたあとの肝腎なところでCMを入れようとするので、流れ的にはCM直後の部分は、CM直前の部分との結びつきが、フィルムの平均的な部分に比べるとずっと強いのだ。
しかし、ただでさえCMのうざったさから、番組は録画しておいて後で見た方がCMを飛ばせると考えてしまいがちなのである。テレビ局のこういった作戦は、私のその傾向をますます強めさせ、しかも私はCMを早送りする際にもCMの終わる絶妙のタイミングで「早送り」を「再生」に切り換えようとする従来の習性とストレスから開放されるという恩恵にあずかれるのだ。