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最近は学校でのいじめによる自殺が問題となっています。何とかならないものでしょうか。
いじめによって自殺に追い込まれるのは誠に不幸なことだと言わざるを得ない。
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やっぱり学校が悪いのでしょうか。
いや、そんなことはない。どちらかというと、社会の「いじめ」の扱い方の方が問題なのである。
いじめというのは、無くならならないし、むしろ幼少期のいじめは、無くしてはならない性質のものであるとも言える。
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は?
いじめという要素は、人間関係、社会生活から完全に排除することは難しい。
しかし、人間は幼少期に経験した「いじめ」によって、学んでいくのである。いじめというのは、いじめられた側だけではなく、いじめた側も傷つくものなのである。こうして、「いじめ」という行為が後味が悪く結局は何のトクにもならないということを経験を通して学んでいく。これが必要なのである。
いじめる方でもいじめられる方でも傍観するのでも、役柄は問わない。いじめと関わり合って学ぶことが重要なのだ。
幼少期や思春期にこれを封じ込めてしまうと、大人になってから手加減のない「いじめ」に手を染めてしまい、もっと大きな不幸を生むことになるだろう。
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そうかもしれませんが、わざわざ体験しなくても、言葉で教えればいいではありませんか。
良く分からんが、きっとそれでは足りないのだ。ケンカもそうだろう。幼少期に友達ととっくみあいのケンカを繰り返す。そうすることで、手加減を覚えていくのである。ケンカを経験せずに中高生になったり大人になったりすると、初めてケンカをするときに方法や加減、引き際が分からずに、大けがをし、または大けがをさせることになる。
何事も経験から学ぶのである
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では、どうすれば良いのですか。
小学校や中学校でいじめ問題が起きにくくするためには、もっと幼少の頃にこれを体験させることだろう。保育園や幼稚園では先生や保護者の目が利きすぎて、いじめや仲間はずれをすぐに制止してしまう。これが、良くない。この時期に経験してしまった方が、むしろ良いのではないか。つまり、少々のいじめや仲間はずれをこの時期に黙認すれば、そんなものは早々に卒業する可能性が高まる。それに、幼児は普通、自殺はせんだろう。
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果たしてそうですかね?
こうして、いじめが永遠に続くものではなく、いつかは終わるものであることも学び取ることができれば、仮にその後にいじめの被害にあっても、絶望せずに乗り切れるのである。
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