十数回に捏造や不適切部分“あるある”…社外調査委
きっと身近にも潜む捏造問題
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2007.4.23
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十数回に捏造や不適切部分“あるある”…社外調査委
情報番組「発掘!あるある大事典II」の捏造(ねつぞう)問題で、過去の放送のうち計十数回に捏造または不適切な部分があり、捏造があった回数は関西テレビが公表した4回を上回ることが22日、関テレの社外調査委員会の調べで分かった。
ZAKZAK 2007/03/23 より
「あるある大辞典U」の捏造問題の背景には、制作者のモラルの低下だけでなく、構造的な要因があったことは確かだろう。この二つは、単独ではなく、きっと密接に関連して起こったのである。無茶な期間と人員、少ない予算で、あり得ないことを要求するとどうなるか。「あるある」の事件は、それを端的に私たちに見せつけてくれた。私たちは、これをテレビ局や報道機関だけに起こりうる問題ととらえるのではなく、もっと教訓を見いださなくてはならない。
概して、本当の黒幕は、具体的に悪事を指示するのではない。自分が犯罪者にならないよう巧妙に、しかし、下の者が自分の判断で悪事をするように追い込むのである。といっても別にやくざの世界だけの話ではない。こんなことは、企業や役所の世界でも多分日常的に行われているのである。
たとえば私の知人の話で、彼は会社の備品の数量をチェックする役目を負っていた。そしてその数量を経理担当に報告し、固定資産の台帳と照らし合わせるのである。備品はいくつも紛失していたから、台帳の数より少なかった。それを経理に報告すると、「台帳と食い違う報告はどんなことがあっても受理できない」と言われたそうだ。つまり、本当の数量を報告すると絶対に差し戻される。彼は、ウソの報告をする以外にその仕事を終える方法はなかったのである。
「あるある大辞典U」に似た話で言えば、「データ(統計)を示せ」という無理な指示が、これにあたるだろう。なんだかこの世の中では、データがないと説得力がないということが過剰に言われるように思う。それは構わないのだが、問題は、いくら探したって「ないデータは、ない」ということである。データがないなら、予算をかけて実験や調査を行うべきだが、そういう気はないクセに無理にデータを要求するのは、それ自体が捏造の指示に限りなく近いのである。上司に提出する報告書や、社内決裁のための資料、社員研修のレポート、顧客に提出する提案書などのどれに関してもこれは起こりうる。
「うん、データの裏付けがないと説得力がないね、この資料は。」
「でも、ちょうど良いデータがないんです」
「だめだ。なんとかデータを探してこい」
「ないものはないんですけど...」
「もっと探せ」
データが存在しないのに、「データがない」ことを許してくれないとなると、もうデータを捏造するしかない。いや、本当はその場合は、その報告書・決裁・提案自体をやめるべきなのであるが、そうはいかない。いや、本人はやめてしまいたいぐらいなのだが、たとえばその決裁は、まさにその上司の命令で作っていたりするのである。
最近はパワーポイントの普及のせいもあって、A4ヨコの紙に大きな字で横書きして何十枚もつづった「提案書」が、大量に作られている。こういった提案書はひょっとすると、捏造だらけなのではないだろうか。結論ありきで提案が行われるため、都合のいいデータだけを取り出し、ないデータは捏造も辞さず、無理矢理にストーリーを作ってそこへ持って行く。もう、これは「あるある大辞典」とほとんど同じ手法だと言っていいだろう。
そして、テレビ番組に対する局内での評価が、中身ではなく視聴率だけなのと同じように、提案書もその中身の妥当性ではなく、受注額や受注率だけが評価の対象なのである。言い換えれば、「いい番組」とは「視聴率が取れる番組」であり、「いい提案書」は「受注できる提案書」で、それ自体の善し悪しとは無縁なのだ。
提案書でそれが行われると詐欺罪、決裁文書でそれが行われると背任罪に問われる恐れもあるだろう。企業のこういった文書を本気で洗い出していくと、「あるある大辞典」どころではない大問題に発展するのではないか。
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