最近腹の立つこと
反省しない天気予報
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2002.3.31
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天気予報士の制度が導入されてから、天気予報はさらに当たらなくなったと言われる。天気予報がアテにならないのは万人の諦めるところではあるが、逆にそういうものだと思っているから大抵は腹は立たない。
とは言っても、天気予報のせいで非常に困ることもあるのだ。代表的な例は行楽だ。アウトドアを企画していても、天気予報が雨の予報を出すと、必ず中止を提案するメンバーが出てくる。しかし、中止してから実際当日になって晴天だと、非常に面白くないものだ。これは、ただでさえ良くない景気を直撃する。天気予報が当たりもしないのに雨だの嵐だのと吹くことによって、行楽地や観光地・商店街の売上は打撃を受ける。
さて、私が気に入らないのは、天気予報の無責任さである。テレビ等のニュースで毎日天気予報を扱うのに、どうして昨日出した予報が今日当たったか、という復習をやらないのか。別に「昨日お伝えした予報については、結果として外れてしまい申し訳ありませんでした」と謝れとまで言うつもりはない。予報は予報である。しかし、昨日出した予報が今日まるっきり外れていたとしても、一切そのことに触れずあっけらかんと明日以降の予報を臆面もなくのたまうのは、私から見れば不自然きわまりない。それとも彼らは、過去の予想が当たったかどうかを自分たち自身でも無関心で、当たり外れを気にしていないのだろうか? そんなことでは天気の予報など、できるとは思えない。そもそも天気予報という学問は過去のデータ等の統計的分析こそが最も重要でありそうなものだ。
テレビについては時間枠の制限によって弁護可能だとしても、最もコストのかからないはずのインターネット上の予報でも状況は変わらない。本来は、天気予報自体の過去に当たった実績(的中率)のデータを取り、どの予報士・予報官・番組・新聞が当たりやすいのかといった格付けを行う機関があっても良いくらいなのである。
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