予定されていた毎月恒例の講演会がオリンピックと重なって中止になったことに憤慨して、T氏が語ることには:
オリンピックの時代は終わったと思うのです。すなわち、東西冷戦構造もなくなり、オリンピックは今や完全に存在意義を失っている。いらないんです。
元来スポーツと平和など、なんの関係もない。それを四年に一回バカ騒ぎをして一体どうするんです? でも、それだけならいいんですよ。オリンピックは不要であるだけでなく、
あってはならないものだとも言えます。
大体がまず、陸上競技のようなものが4年に一回というのはおかしい。スポーツ選手というのはそれぞれ、最も“旬”の年齢というのがあり、それが4年サイクルとうまく重ならなかった選手は、いくら優れていてもメダルを取らずに終わる。これは、スポーツの記録というものを歪めているわけなんですね。4年に一回なんておかしいんです。
じゃあ毎年やればいいのか?……というと、それは、なお悪い。オリンピックを誘致して地元がお祭り騒ぎをして、たくさんのスタジアムを建てる。しかし、そんなものはオリンピックのときしか使わないんです。だから、ワールドカップだって同じですよ。一回キリしか使いもしないスタジアムをぼこぼこ建てて、一体どうするつもりなんでしょうね? 赤字財政の元凶みたいなものですよ。
スタジアムを無駄にしないためには、テニスにおけるウィンブルドンのように、一つの種目について場所を固定して、繰り返し繰り返し使えばいいんです。
こういうと、「東京オリンピックのおかげで東京は都市整備が進んで云々」ということを言う人もいる。それこそ過去の成功体験というものです。まずそう言うことを論じるなら、オリンピックは後進国でやるべきなんです。開発され尽くした先進国でやってどうするんです? 東京五輪のように高度成長期にやったからこそ良かったんですよ。
それだけじゃない。東京というのは元もと人口規模、都市規模から言ってとても大きい。オリンピックがもたらす遺産とも言うべきインフラ、スタジアムを十分活用していけるだけのマーケットです。しかし、東京のような規模の都市はそうはない。ましていわんや、冬季五輪が行われる片田舎の都市をや、です。東京みたいにどのみちスタジアムも高速道路も必要になるところに、オリンピックを契機に整備するのは分かりますが、普通の規模の都市じゃあ持て余しますよ。
オリンピックによって都市を開発し、オリンピックによって経済振興を図る時代は終わったのです。
それに、もうただIOCを中心とする利権の温床じゃないんですか?
オリンピックによって国際平和をつくろう時代は終わったのです。