解散宣言・「正しい日本語を守る会」
目の保養
|
2007.1.13
|
「目の保養」という言葉は、女をつけあがらせ、男の立場を悪くしているばかりで、全く以て使うべきではない。差別用語などと同様にとらえ、使用を控えるべきである。
まずもって女というのは、“さわって抱いてなんぼ”のものなのである —— こんな下品な言い回しはしたくはないが、「目の保養」という言葉はまさしくこの程度に下品だ ——。それを、挑発的な格好で肌を露出し、単に見せつけられるだけというのは、「蛇の生殺し」に等しい。それで居て、もしちょっとでもさわれば、その男は即アウトで、まっとうな人生を歩んできた者ならば、死にも匹敵する社会的制裁を加えられることになるだろう。
そもそも、挑発的な格好というのは、ターゲットが特定であるにせよないにせよ、誘惑することが目的と解釈されて仕方のないものである。美や清楚さ、かわいらしさの強調とは一線を画するものだ。当然、痴漢や強制わいせつ行為の誘因と成りうるべきものであり、それが十分に予見できる。さわられても許せる相手以外の居る公共の場(公道、公共交通機関、盛り場、職場など)において、挑発的な格好をすることは、法律で禁止しないまでも、本来は厳に慎むべきなのである。
では、なぜ「目の保養」という言葉が悪いのか。
男だって本当は、見るだけでさわれないようなイイ女が目の前にいても、いいことなんか何もないのである。ところが、「目の保養」という言葉にだまされ、なんかトクした気分にはなるが、深層心理では欲求不満がたまり、種々のトラブルや疾患の遠因となる。
つまり、女は挑発的な格好で居ることで、本当は周りの男に不愉快な思いをさせているのである。しかし、「目の保養」という言葉のせいで、そういった行動が免罪されているどころか、まるでサービスしているかのようではないか。見せつけられるだけの状態に置かれて何のトクもしていない男は、「目の保養になったね」と恩まで売られて、全く報われないのである。
【免責】このページは、筆者の考えで構成されているものに過ぎません。筆者は国語の専門家ではないこと、記述の正当性は何ら検証されていないこと、記述を参考にしたり転用したりした結果について責任を持てないことをお断りしておきます。
戻る(「解散宣言・正しい日本語を守る会」へ)