解散宣言・「正しい日本語を守る会」
至急
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2008.9.6
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何かを依頼するときに、すぐに「至急」という言葉を付ける人がいる。
これは“言葉のインフレ”の問題ではなく、むしろ人による違いではないかと感じる(言葉のインフレを問題にするなら、「至急」という言葉を決して使わず「大至急」という言葉だけを使うような人を皮肉りたい)。
至急という言葉は時に逆効果で、大したことのない内容で「至急」と書かれると、わざと遅く対応したくもなるというのは人情であろう。不思議と自分勝手な印象や、相手に軽い不快感を与える言葉である。本来、急いでいて早い対応を求めるのなら、「急いでおりますので、できるだけ早く対応して下さると幸いです」などの謙虚な姿勢でもって相手の心を動かすべきだ。「至急」の二文字でそれを片付けようとする態度はかえって逆効果なのである。絶対服従の関係にある命令以外で、「至急」という言葉は避けるに超したことがないだろう。
だが、私は最近、「至急」という語を大した意味もなく付けている人がけっこう居るのではないかと感じている。ひょっとすると意味も理解していなくて、かしこまった依頼文につける枕詞のようなものだと勘違いしているのではないかとさえ思える。
ある人が「至急」で何かを依頼してきたなら、本当は、その人が依頼のうちの何割ぐらいに「至急」をつけているのかが、重要である。よく依頼や命令をされる関係にある人なら、その人の「至急」の頻度も分かるだろう。だが、そうでないケースでは分からない。いつでも無意味に「至急」とつける人と、「至急」という言葉を原則として使わない人とで、常に前者が優先されるようなことはあってはならないのである。「至急」という言葉はとりあえず無視して、内容から急を要するかどうかを判断するようにしたいものである。
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