解散宣言・「正しい日本語を守る会」
宇宙に行く
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2005.7.15
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「宇宙飛行士・野口さんがスペースシャトルに乗って宇宙に行く」——などの表現が使われるが、これにはかなりの違和感がある。
まずもって、今いるここが宇宙なのである。この言い方は、自ら東京に居ながら「明日、日本に行ってくる」というのと同じぐらいにおかしい。もしくは、校庭に居ながら「学校に行く」と言っているようなものだ。
弁解の余地もある。「宇宙」とは狭義には、「広義の宇宙」の中での地球以外の部分を指すのだ、と主張することもできよう。すると、「東京地方」という言葉もありながら「地方⇔東京」という概念もあるので、東京に居ながら「明日は地方に行ってくる」と言うのと同様に考えれば良いのだろう。
だが、それでもいくぶん納得がいかない。スペースシャトルが(高度は目的にもよるが)たかだか地球から400kmぐらいのところを飛ぶことを、果たして「(狭義の)宇宙に行く」と言って良いのか。
地球の半径は、およそ6,000kmであるから、国際宇宙ステーション(約400km)やスペースシャトルが飛ぶ高さは地球の半径の15分の1ぐらいである。地球をサッカーボールにたとえれば、表面から1cmも離れていない場所だ。視界の半分は地球である。宇宙飛行士は、地球の全てをその視野に納めることさえ難しいであろう。「地球は青かった」より「地球はでかかった」と言いたくなるのではないか。
それでもそこが「宇宙だ」と言えるのは、真空であることと無重力であることの二点で、地上とは決定的に環境が違い、この二つで我々が「宇宙」とイメージするものの条件をかなり満たしているからだろう。だが「無重力」とは言っても地球の重力と相殺する遠心力が働いて無重力状態になるだけで、実際には地球の引力が強力に働いている場所である。
月ともなると、高度38万キロであるから、宇宙ステーションの1,000倍、サッカーボールの例えでも10メートル離れた位置である。このくらい離れれば、「月に行った」を「宇宙に行った」と表現しても良いだろう。(ついでながら、1960年代に人類が1,000倍も遠い月に行けたのが本当だったのか疑いたくもなる)
ここで、宇宙を海に例えると、もう一つの弁護が可能である。「海に行った」と言っても、何も船で大海原に乗り出したとは限らない。「海水浴」も「海に行った」と表現されるし、それどころか、海岸にさえ行けば水に入らなくたって「海に行った」と表現される。厳密には、「海に行った」のではなく「陸の海に近い部分」に行っただけではないか。一方、「地球の宇宙に近い部分に行った」という表現はナンセンスだ。地表のあらゆる場所が、等しく宇宙に近いからである。むしろ「宇宙の地球に近い部分に行った」の方が正確だろう。もしくは、「我々は常に宇宙に居て、足を地球につけている」とも言える。
少年が地面で飛び跳ねて言ったものだ。「ほら、たった今、宇宙に行ってきたぞ」
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