台風や戦争などの災害で亡くなった人を、「犠牲者」と報じることがある。
証拠1
証拠2
しかし、これは一体どういうことなのだろうか。「犠牲になる」というのは、「生け贄になる」のと同じで、
その人が死ぬことで他の人々に何らかの利益があったということが要件ではないかと思うのである。
しかし、誰かが台風で死んだ。ただそれだけの事実がどうして「犠牲になった」と言えるのか。その人は、台風を鎮めるために犠牲になったのか。周りの人が、台風を鎮めるためにその人を差し出したのか。そして、その人が死んだことで、台風がおさまったのか。いずれも違うではないか。バカバカしい限りである。
国語辞典で調べると、「生け贄」と同じ意味の記述しかない辞典と、それに加えて「A災害による死者」のような記述がある辞典がある。Aは、誤用が定着し辞典に掲載されるに至ったケースと推定せざるを得ない。
「おじいさまが、台風の犠牲になられたということですが」
「確かにじいちゃんは、台風で死んだ。台風の日にわざわざ出かけないで、家でおとなしくしとったら良かったんだ。これじゃぁ、全く“むだ死に”だ。もっと長く生きとって欲しかった。
じいちゃんは、犠牲になったんじゃあない。何もじいちゃんが死ななくたって、台風はおんなじ早さで過ぎ去ったにちげえねえんだ」
古代の日本では、本当に台風を鎮める目的で、周囲が仕立てて、或いは本人から進んで、台風の「犠牲」になった人がいたことは疑いがないだろう。
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