解散宣言・「正しい日本語を守る会」
試合は「ふりだし」に戻った
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2003.10.19
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スポーツアナウンサーが使う慣用句的表現に、「試合はふりだしに戻りました」というのがある。
すごろくの「ふりだし」を転用してこう表現しているのだろう。だが、すごろくの「ふりだしに戻る」とは全然状況が違う。
すごろくにおいて「ふりだしに戻る」は、自分だけがふりだしに戻り、ゴールまでの道のりもスタート時点と同じになることを意味する。ところが、野球の試合が6回裏に4-4の同点になったとしても、また9イニング戦わなくてはいけないわけではない。すごろくにたとえるなら、「同点になった」というのは、「同じマス目に並んだ」に匹敵する事件にすぎない。
8回の裏で同点に並んだ場合に、果たして試合はふりだしに戻ったのだろうか? そうではない。9回に一点でも多くとった方が勝利で、試合終了である。特に「追いついた側」に立った場合、「ふりだしに戻った」などとんでもないことだ。
プロのチームと、アマチュアのチームが試合をしたとする。8回の裏でプロチームが1点を入れ、1-1で並んだとする。こういうケースで、8イニングも対等な試合を続けてきたこと自体が奇跡であり、0-0だった試合開始時に比べ、アマチュアチームの勝利ははるかに現実的なのである。「良くここまで持ちこたえた」と表現しても良いだろう。
逆にプロチームが1回の表で1点を入れて先制し、8回の裏でアマチュアチームが1点を入れて追いついたとしよう。これを「ふりだしに戻った」と表現するのは何か違和感がないだろうか。
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