何が言いたいかというと、人間の嗜好は、この分類とは必ずしも相関なく存在しているものだと言うことだ。何も食べ物に限らない。
—— 「○○くんは、山と海どっちが好き?」
たとえばこんな質問はクセ者だ。山と海に分けてどっちが好きかとは、何事か? そんな二分論は無意味で、両方好きな人が大半なハズなのだ。しかも、ここで
—— 「うーん、山かなあ」
とでも答えようものなら、
—— 「どうして海は嫌いなの?」
と言いかねない人がたくさんいる。海が嫌いとは言ってないでしょうが!
さて肉料理と魚料理に話を戻そう。お店で料理を取り分け前提で注文する時に、「肉にする?魚にする?」という思考順序は、ありがちであるが、正しくないのである。なぜなら、食べたいものの順番が、きちんとこの分類に並んでいるとは限らないし、大抵そうではないからだ。
-魚料理-
舌平目のムニエル
真鯛のポワレ
-肉料理-
鴨のロースト
牛ほほ肉のポトフ
というメニューだったとしよう。「今日は魚料理にしよう」と決めたとしても、舌平目の次に鴨が食べたい、というケースもあるだろう。そうなると、「魚料理」という方針を決めることにあまり意味はない。舌平目、鴨、牛ほほ肉、真鯛の順に食べたかったのだとしても、「魚料理」の方針を先に決めると、真鯛で合意せざるをえない事態があり得るのだ。舌平目のムニエルを食べたかった人が、鴨のローストより真鯛のポワレを好む必然性があるのだろうか?
最初に調理法から選ぶ(「今日は煮物にする?揚げ物にする?」etc)というのも面白いアプローチだ。肉/魚より説得力を増す場合も多い。だが、結局は同じことである。
一方で、洋食と和食という分類に基づいた方針決定は、店を選択する前に行なう限り有効である。選択するべき店が変わるからだ。
以上は、各コンテクストにおいて意味のない分類をしたために、おかしなことになっている例だ。二分論は逆に、十分に意味のある分類をしてもなお、返って二つをくっつけてしまうことがある。好例はワインである。
—— 「○○くんは、赤ワインと白ワインどっちが好き?」
—— 「断然、赤だね」
という会話は、山と海の会話とは違って、「白ワインは嫌いなの?」とは取られないのだ。
最近は日本酒からウイスキーまで、多様なアルコールを揃えている飲食店が少なくない。そこで「今日は、ワインで行く?焼酎で行く?」という会話は、良くあることだ。私の場合は赤ワインが好きなのだが、希望順位が「赤ワイン、焼酎、ウイスキー、白ワイン」である場合が多い。私が思うにワインの赤と白の違いは決定的なもので、同じ「ワイン」という名前でも全く別の扱いにすべきものなのである。
しかしワインをいくら二分論に持ち込んでも、——しかもこれは正当な二分論なのであるが——、お酒の中での順位は一方が n 位ならもう一方は n+1 位だという程度の解釈をされてしまいがちなのだ。
※ロゼの存在はおいといて,の話です。