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先生、今度久しぶりに同窓会があるんですが、負け組だから欠席したと思われるのもシャクだから、気は進まないけど行こうと思っています。
負け組なのに同窓会に参加するなんて、偉いじゃないか。
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いいえ、別に負け組じゃないですよ。でも、そう思われるとシャクだから、参加しようと思うってことです。
では、なぜ気が進まぬのだ。
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年収や社会的地位で人を判断して、見下されて、不快な思いをするからです。
なるほど、確かにそういう、くだらない人間は多いのだろうな。年収はなかなか聞けないし正直に話さないだろうが、社会的地位は、個人個人で持っている恣意的な尺度があって、人を判断しやすいからな。医者と弁護士と議員と高級官僚が偉くて、肉体労働者や塾講師、ミュージシャンは下だとか。
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私は、他の人を、学歴や家柄、年収や社会的地位で判断するようなことはしません。ひとつの要素ではありますが、それを以て成功度合いや幸福度合い、ましてや人間の格付けをしようなど、とんでもないことです。むしろ、品格のない人がやることです。
だったら別にいいじゃないか。
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そのこと自体はいいんです。彼らが、自分を勝ち組、私を負け組と思っていたって別に構わない。しかし、それが態度に出て、見下したり、馬鹿にしたりするのは、不快です。
そりゃ、理由を問わず、見下されたり馬鹿にされれば不快なのは当たり前だ。
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人を見下せば、嫌われることは自明なのに、彼らはそれをする。というのは、私に嫌われることよりも、見下すことの快感を選んでいるわけです。これがまた、腹が立ちます。
愉快に思う人間なんて、居ないだろう。
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見下すことで彼らは勝ったと思ってるかも知れませんが、私は全く負けたとは思っていない。ただ不快なだけなのです。
本当にろくでもない同窓生と付き合っているのだな。人を不快にさせることによる快感というのがあって、支配欲の一種なのかも知れないが、下等な人間のやることだ。イジメと同じだ。
そういうときは、心の貧しいヤツだと思って哀れむことだ。自分より下だと思う相手を見て優越感に浸るような人間は、人生の満足度が低いからそうするのである。