——
友人が独立して建築事務所をやっているので、いずれわが家を建て替えるときには頼める人がいて安心です。
ははは、せいぜい、カモにされないように気をつけることだな。
——
どういうことですか?
建築士というのは、人の予算で自分の趣味の創作をするという、特異な仕事である。一見、商売としては普通のように見えるが、ちょっと違う。
普通のメーカーは、低コストで一般受けするものを製造して販売するのが基本である。そこへいくと、建築家は、得てして奇抜な建築をしたいと考えているが、自己の所有する建物としてはお金がなく建てられないので、自分の創作意欲を他人の金で満たすのである。
従って、建築士は、友達や親戚、“友達の友達”が家を建てる機会を手ぐすねを引いて待っているのである。金持ちなら金持ちなほど、ありがたい。予算が取れるだけでなく、金持ちのプライドをくすぐれば、より芸術性の高い奇抜な建物でも受け入れてくれるのだから。
知り合いの建築士に自分の家を建てさせるなんて、とんでもないお人好しと言わざるを得ない。
——
なんか、偏見に満ちてないですか?
金持ちの家は、近年、だいたい住みにくくて奇抜だ。それは、金持ちは横のつながりが多く、建築士の知り合いが多いからだ。逆に、金持ちを食い物にして渡り歩いている建築士は、金持ちから別の金持ちを紹介してもらっては、他人の金で自分の自己満足の作品を作るのだ。
奇抜で、暖かみを感じない、ただ住みにくいだけの家を建てられて、そこに住んだ家族はもう家庭崩壊なのだ。事実、そういう家庭を私は知っている。結果、子は自殺、両親は離婚という悲劇の結末だった。
——
きょ、極端ですね??
ほんとうの話だ。だから、知り合いに建築士がいるなら、食い物にされないように、気をつけねばならない。
賃貸物件を建てるにしても、余計なお金をかけて建てて「デザイナーズ物件」のようにされたところで、それによって家賃を多く取れるわけでもなく、単に高コストになるだけだ。
——
まあ、そういう側面もあるかもしれませんね。
側面どころではなく、本質だ。公共工事がその最たるものだろう。東京国際フォーラムだって、東京都庁だって、普通に四角いのを建てれば100億円ですむものに500億円かけたようなものだ……都庁の場合は1500億円だったかな?
——
そういえば、白紙撤回になった「新国立競技場」もひどいものでしたね。
あれなど、自ら「私はカモですから、私のお金で、あたなの芸術作品を作ってみませんか?」と言ったようなものである。
「お金はたっぷりあるから、奇抜なものを作ってね」と言って公募したのだろう? 馬鹿げている。
「300億円で競技場を作れるプラン、募集!」とやれば、もっとクールでコンパクトなプランができあがっただろう。箱もの行政は、建築士の創作意欲の食い物でしかないのである。