寓話「アリとキリギリス」のような意味では、我慢は大切だ。しかし、「イヤなことに文句を言わず、反抗せずに素直に従う」という意味の「我慢」は、本来不要なもので、それどころか、危険な思想として排除すべきものだ。
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我慢が、いけないと?
日本では、「イヤなことでも文句を言わない」と教育するだろう。学校教育だけでなく、家庭でも、社会でも。
しかし、進んだ西洋国家では「イヤなことは、はっきりイヤと主張する」という教育をしているはずだ。なぜなら、それが民主主義にとって、とても大切なことだからだ。
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なるほど、教育ですか。
為政者にとって、「我慢しろ、文句を言うな」なんて、こんなに都合の良い教育はないからな。我慢を美徳とする教育は、要するに、権力者の都合で一般庶民を洗脳するために行なっているものだ。
だから、その教育は簡単には変えられない。権力がそれを阻むだろう。
しかし、子どもに教えを説くには、教育だけが方法ではない。アニメ映画などでも良いのだ。本当は、影響力のあるスタジオジブリなどで、そういうアニメを作ってくれれば良いのだが。
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どういうアニメですか?
昔、二つの村があった。片方は、「イヤなことでも文句を言うな」という教えを子どもに説く村だった。もう片方は、「イヤなことはイヤとはっきり言いなさい」と子どもに教えていた。
百年後。一つ目の村は、独裁者に支配され、ひどい国になっていた。もう一つの村は、議会が中心の、何事も民主的に決める国になって発展した。とまあ、大まかなストーリーはこんな感じでよいだろう。
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なるほど、あとはストーリーを面白く作り込めば、子どもたちも飽きずに見られるかも知れませんね。
たった一本の映画作品が、長い目で見て国家を救うことだってあり得るのだ。だが、私は残念ながら、絵の才能も、映画を作る技術もない。