—— 先生が、オリンピックをお嫌いなことは良く知っています。その上で、お伺いしたいのですが...
嫌いだと言ったことはない。廃止するべきだと言い続けているだけだ。全く見ないわけではない。
—— はい、良く分かりました。では、今回の冬期オリンピックは、いかがでしたか。
浅田真央というスケートの選手が可哀想だった。
—— そうですね、金メダルを逃してしまいましたからね。
いや、金メダルが取れなかったことなど、ちっとも可哀想じゃないのだ。「金メダルが取れなくって泣くほど悔しかったこと」、それが、可哀想なのだ。
金メダルが取れないこと自体は、ちっとも可哀想じゃないよ。私だって、ちっとも欲しくなんかないからな。ま、子供がポケモンかプリキュアの大事なおもちゃを壊してしまって泣いている、そんなところだ。
—— なるほど、そうでしたか。
私がオリンピックを廃止するべきだと言っている根拠の一つは、ここなんだよ。オリンピックが、選手を幸せにしているとは思えない。むしろ、選手を不幸に陥れている元凶だと言えるだろう。
ほんのひとつかみの、金メダルを取った選手と、番狂わせで思いがけずメダルが取れた選手。これ以外は、概して、不幸だ。普通の大会なら、順位を数字として冷静に受け止められようが、オリンピックでは3位と4位の間に大きく理不尽な差がある。
そして、極めつけは、浅田真央だけでなく歴代出場選手が、それも一流の選手ほど、毎回のように示してくれている、「金メダル以外納得できない症候群」とも言うべきものだ。
「金じゃなきゃイヤだ」
「銀をもらったのに不満」
「どうしても金が欲しい」
こういう、やたらと見苦しい選手たちの振る舞いをこれまでにイヤほど見てきた。
しかし、金メダルが取れるのは一人だけなのである。もう、この状況は不幸としか言いようがない。残酷そのものだよ。
—— しかし、浅田選手など、もう気持ちを4年後に切り替えているようです。
そこもまた、問題だ。4年は長い。4年に1回は少なすぎる。本当は、他の選手権やら、種目ごとの大会の方が大きな意味があろうに、オリンピックだけが世間でもてはやされ、有名になり注目を浴びるチャンスとしては絶大なものがあるから、4年に1人の王者をめぐって争いがムダに熾烈になる。
4年間の臥薪嘗胆の生活と、その末に、またメダルさえ取れないような悲劇の繰り返し。私には想像を絶する世界だ。
—— そうですか。しかし、スケートそのものを楽しんでいるという感じもしますが。
本来、フィギュアスケートやシンクロ、新体操の類は、競技会にはふさわしくない。芸術と見なすべき面もあるからだ。本当に技術を競う気があるなら、少なくとも、音楽コンクールの課題曲のように、演目を統一して競うべきだろう。