——
巨大地震後の福島第一原子力発電所の事故は、深刻な影響を出しています。先生、これでも日本が、原子力発電をやめる方向に梶を切ることはないのですか?
太平洋戦争でも、明らかに形勢が悪くなり、東京大空襲を受け、広島への原爆投下でも終わらず、長崎にまで原爆投下されてようやく日本は降伏した。1回の爆発事故では、やめるなど考えられないだろう。
——
太平洋戦争や原爆に例えるのは、不謹慎ではないのですか?
そんなことはない。日本の原子力行政は、太平洋戦争との共通点が非常に多く見て取れるのである。東電や政府の隠蔽体質ひとつとっても、巷では大本営発表に例えられているではないか。
私が見るところでは、日本の原子力は、プルサーマルが軌道に乗ることや、高速増殖炉「もんじゅ」の成功を絶対の前提にしている。「もんじゅ」では昨年、炉内での部材落下事故が起きており、回復が絶望的とみられ、担当の課長が自殺している。あまりニュースにはなっていないが、福島原発よりもっと深刻な事態との指摘も多い。
太平洋戦争は、最後に勝つことを前提にして、国力の全てを注ぎ込み、国民を危険にさらした。「もし負けたら?」などという想定は存在しないのである。終わりとは、「勝利」か、「一億玉砕」でしかなかった。
関西圏に近い「もんじゅ」が爆発すれば、大阪・名古屋はもちろん、放射性物資での汚染は関西以東に壊滅的な被害をもたらすだろう。要するに、日本の原子力行政ももはや軟着陸などあり得ず、「日本全土の壊滅的な汚染で一億玉砕」という形でしかきっと終われないのだ。太平洋戦争と違って「勝利」という形の終結はなく、成功している限り原発は運転されるから、いつか壊滅的事故が起きるまで続く。もっと深刻だとも言える。
——
しかし、原子力発電所1つの大事故で賠償額が数兆円にのぼり、原発の経済合理性など否定されたも同然ですよね。
そんなものは「大義名分」の1つが吹き飛んだに過ぎない。国策なのだから、そのくらいは屁でもあるまい。
原発の必要性を演出するためか、計画停電や、電車の冷房を切ったりといった「原発ないと成り立たないよ」という荒っぽいプロパガンダが実行されているではないか。「欲シガリマセン 勝ツマデハ」といった戦時下の話が思い出される。
——
事故処理の作業員も、大変な思いをしてると思います。こんな危険なものを支えていこうという労働者が、今後も継続的に確保できるのでしょうか。
国策なのだから、最終的には、一般国民を強制的に徴用するだろう。徴兵と同じである。そして、炉内の本当に危険な作業は、特攻隊ならぬ決死隊を募る。戦時下の日本では、志願して特攻隊に入隊した者が多数居たのだ。
——
では、やはり有権者の一票の力、政治の力で、何とかするしかないのですか。
政治家といえども、国策に逆らうのは容易ではない。太平洋戦争の前に、五・一五事件で首相は暗殺されているではないか。私に想像できる終結は、誠に残念なことだが、一億玉砕の破滅的な結末ただ一つである。