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今年の夏に見る、日本人の節電に協力する姿勢、すごいですね。誇りに思います。
そうだな、でも、その我慢強さは、太平洋戦争の原点でもあっただろう。国民の大半が「この戦争はおかしい、負ける」と感じている中で、異常なまでのガマンを軍部・国家に強いられても、我慢し続けた。その結果、日本国民の力で、軍部の暴走を止めることができなかった。我慢強さが裏目に出た例と言える。
今回の節電も、「地震や津波で発電所が簡単にやられた」ことがまず責任追及されるべきだ。なのに、その尻ぬぐいでこれだけ節電を強いられても、真剣にイヤな顔をしている人が実に少ない。
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日本人は確かに、我慢強いですよね。
我慢強い、というよりは、ガマンすることそのものが好きなのだろう。ガマンにより達成感や自己満足を得ようとするところがある。ガマンしている人たちを見ると、ある種の充実感であふれていて、幸せそうですらある。
これは多分に、多くの日本人が無宗教であることと関係があろう。
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どういうことですか。
人間は、自らを「罪深い」と考えるようにできている。
その点、宗教をまじめに信じている人は、毎週お祈りに行ったり、お布施や寄付をしたり、苦行を行ったりすることで、「贖罪」がすんでいると実感できる。
だが、多くの日本人は、これらを行なうほど信心深く、宗教を信じていない。
実は日本人は、罪悪感から逃れるため、宗教行為の代わりに、「ガマン」によって贖罪を果たしてきたのである。これはもはや、代理宗教、ガマン教、だ。
ガマンさえすれば、天国に行ける。
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そんなこと言って、また怒られますよ…
宗教に入信している人と、そうでない人との間で、「ガマン好き」さ加減に有意な差があるかを、調査してみたら面白いだろう。
しかし私が気になるのは、ガマン好きで、我慢強さを美徳とする国民性は、必ずしも良い結果を招かないように思えることだ。