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思想家T氏が語る
(〆ビールの美学)
2009.5.12
——   先生は、宴の最後に良くビールを飲まれていますね。
 最後にビールでしめる。そういう気分になったということは、非常に心地よく良く飲めたという証でもあるのだ。

——   確かに、〆にビールを飲む人って、ときどき居ますよね。
 何事でもそうだが、満たされるよりは、八分目ぐらいがちょうどいいのだ。もう少し食べたいと思う、もう少し飲みたいと思う、また来たいと思う、また会いたいと思う、……。この感じは、とても重要なものである。

 もう飲めないぐらい飲んでしまったり、もう食べられないくらい食べてしまったり。まあ実際周りを見ているとこういう徹底主義の者が多いが、私の美学にはそれは合わない。

——   それが、最後にビールを飲むことと、どういう関係があるのですか?
 最初の一杯は、ビールが一番良いのである。それくらい、ビールはおいしい——少なくとも私には。

 しかし、ビールというのは不思議と、満腹だと、飲みたくならないものだ。酩酊度合いが大きすぎても、あまりビールを欲することはない。

 つまり、宴の最後に、再び「ビールが一番おいしい」と思えるぐらいに、腹も肝臓もちょうど良い状態で終わることができたからこそ、〆のビールを飲む気になるのである。むしろこれから新たに宴を始めたっていい……、という具合に、また飲みたいと思うぐらいがちょうど良いということだ。

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