(「
(これからの世代が映画を楽しむために)」からのつづき)
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先生は、最近、映画でいいなと思ったこととか、ないんですか。例えば感動して泣いたとか。。。
「ポケットモンスター ディアルガVSパルキアVSダークライ」を見る機会があったが、何度も泣きそうになった。
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さんざん「最近の映画は…」とか言っておきながら、そんな子ども向けの映画で感動してたんですか。
感動したわけではない。
事実、もう一回見たいとは思わないし、面白かったとも思わないし、見て良かったと思ってもいない。
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どういうことですか。
映像文化はこの百年足らずの間に、「泣かすためのパターン」を研究しつくしてきた。そのパターンを効果的に使っているだけで、別に映画自体が感動的なわけでもないし、名作なわけではない。
例えば、脇役の効果的な死なせ方とか、別れのシーンとか、誤解され嫌われていた者が実は正義だとか、音響との組み合わせかたとか。
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まあ、確かにテクニックはありますね。
だから、「泣く映画=名作」なのではない。しかし、人は勘違いしやすい。
遊園地デートで絶叫マシンに乗ると、スリルによる胸の鼓動を恋愛のドキドキと勘違いし、その後の展開が良くなるという説がある。
その説で言えば、映画を見て泣くと、それが「感動して泣いた」と勘違いする人が多いのだ。感動して泣く場合もある。だが、全然関係ない場合もある。
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関係ない場合とは?
泣かせるパターンの応用は、まだ、タチが良い。
ひどいものは、ただただ悲しくて惨めなだけなストーリーを見せて、単純に同情で泣かせるものだ。
この最たるものが、テレビ局が味をしめ、臆面もなく垂れ流している、「難病モノ」だろう。
(「
(CGが映画文化にとどめを刺すのか)」につづく)