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検察が、証拠や調書を捏造するというのはあってはならないことです。大阪地検の前田検事のFD証拠改竄事件は、決して氷山の一角ではない気がします。先生は、この件をどのように考えておられますか。
検察を擁護するつもりはないが、我々が考えているような簡単なことでは、おそらく、ない。
君も、子供の頃に思ったことがあるだろう。「泥棒を捕まえて牢屋に入れるのに、どうして裁判が必要なんだ? たちどころに牢屋に入れればいいのに……」と。
ここで、社会科の授業では刑事裁判の必要性を説くわけである。私たちは、検察批判を展開するときには、とかく冤罪や自白強要にばかり目が行きがちである。しかし、検察の仕事のほとんどは、「明らかな犯罪者を、牢屋にぶちこむこと」なのである。
前科二犯の札付きのワルで、今度は拳銃の密売で捕まった……そんな連中を牢屋に入れるために、彼らは調書を取り、裁判官に訴える。これが、彼らの日常だ。お前らのような根っからのワルを牢屋に入れるために、なんで司法試験まで通ったオレ様がこんな調書を作らんとあかんのや、と。
だが、海千山千のヤクザ者が、簡単に口を割るわけがない。「お前、拳銃を売ったんだろ!白状しろ!」「知らねぇな〜」と憎たらしい表情で黙秘権を行使する。こんな日常を送っていれば、暴力もふるいたくなるし、あの手この手で自白を強要したくもなるだろう。だが、犯罪常習者はそんなことには簡単には屈せず、むしろ、本来は善良な市民である冤罪の人、例えば足利事件の菅家さんのような人の方が、やってもいないのに自白してしまう。これが、現場の実態であろう。
検察官たる者、相手にする容疑者の9割9分が犯罪者で、そのうちの大多数は、再犯を繰り返す根っからのならず者なのだ。刑務所の刑務官が正常な精神状態を保つのが難しいように、検察官の職場もメンタルヘルスケアの必要性が高いことは容易に想像が付く。
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では、どうすれば良いのですか。
検察官は、日常相手にしている連中がほとんど犯罪者だという点において、バランスの取れた正常な人間関係を生きていないのである。そこが問題だ。
ならば、陪審員、裁判員のような民間人を取り入れる発想は、まさに検察にこそ必要なのではないか。検察のチームに、無作為抽出した民間人を混ぜるようにして、平均的な人間の感性を絶え間なく注ぎ込み、生かしていくことが大切なのだ。当然、同じことは捜査機関である警察組織にも言えるだろう。
それだけでなく、本当は、刑事事件の弁護人を一定程度経験した者のみを、検察官として採用する方が良いだろう。