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どこぞの製紙会社の会長が、会社のカネをギャンブルで使い込んで逮捕されました。全く何を考えているんでしょうね。
逮捕はやむを得ないことだが、彼のことは哀れむべきだろう。
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なぜですか? 会社のカネでカジノで豪遊していたのですよ。
カジノで勝っていたのなら、豪遊も楽しかろう。
だが、彼の場合は100億円も損したんだ。楽しかったのは最初のホンのひとときに違いない。10億も損した時点では、気分は一転する。今度はその穴を埋めるため、損を取り戻そうと必死になる。その結果、悪循環でどんどん損が膨らんだというのが実状なのではないか。楽しいはずがない。
賭け事に興じるのは、精神的に弱いからということもあるが、金持ちにとって賭け事ほど割の悪い娯楽はないはずなのだ。
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確かに、金持ちだけに負け方も豪快ですね。
カジノや、賭け事全般、これは金持ちが手を出すには、あまりにも勿体ない。賭け事の魅力とは、詰まるところ、エンドルフィンやドーパミンなどの脳内物質が分泌されることなのである。儲かったときの興奮や安堵感、これが賭け事の快感の本質だ。
貧乏人は、フランス料理を食べに行くことも世界一周旅行もままならないだろう。しかし、なけなしの千円を賭けて大当たりすれば、脳内物質が分泌され快感を得られる。
金持ちは、千円ではとても快感は得られない。1000万円をかけて、1億円に増えるような勝負でないと、貧乏人の千円と同じだけの脳内物質は分泌されないのである。従って、同じ快感を得るためのコストが全然違う。金持ちにとって、娯楽としての賭け事は、コストパフォーマンスが悪いのだ。
その1000万円があれば、フランス料理も食べられるし、世界一周も行かれるのである。にも関わらず、貧乏人の何万倍ものコストを支払って、貧乏人が千円で買えるのと同じ脳内物質を買っている。要するに、金の使い方を間違っているのだ。
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では、貧乏人には、賭け事をやれと?
千円でできる娯楽など、たかが知れているが、賭け事で一瞬で消えるよりも、まだ雑誌でも買った方が良いだろう。だが、持ち金が10円しかなければ、どうせ何も買えないのだから、賭け事が一番、賢い使い方かも知れぬ。