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先生は、最近、議論がお好きではないと聞きました。
どうも、議論に勝ったことを以て、自説の正当性が証明されたと勘違いしている者が多いからな。ま、ハッキリ言って、うんざりだよ。
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例えば、誰ですか。
誰とはいわんが、コンサルまがいの連中もそうだし、官僚や政治家だってそう。専門家も、そうだ。頭の回転が速いことだけを売りにしているような連中も、だいたい、そうだ。
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議論に勝ったら、勝った方が正しいのではないのですか?
冗談ではない、そんなわけなかろう。
議論の勝ち負けは、議論の勝ち負けに過ぎん。それは、知識の量や、ディベート上のテクニックや、頭の回転、そういうものに左右されるのであり、役割やメンバーを変えて議論をすれば、異なる勝敗が出ることもある。
「お前は議論に負けたのだから、正しくない。だからこちらの言うとおりにしろ」と言われたって、納得がいくわけがない。
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一理ありますね。でも、議論によらなければ、どのようにして方針を決めれば良いのでしょうか。
議論やら何やらを踏まえた上で、各々の精神が決めるべきだろう。一人ひとりの、個人の勘がとても重要だ。
どんなに議論でコテンパンにやられても、「でも、自分の方が正しい」と思っている場合は、議論で勝てなかっただけで、案外そういう感性は正しかったりもするのである。
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それじゃ、議論をしたって意味ないじゃないですか。
そこまでは、言わん。議論をすることによって、その問題に対する理解を深めることはできる。そして、いろいろな意見があることが分かる。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない。議論で物事を決めてはいけないのだ。議論を通じて理解を深めた上で、多数決を取る。議論の利用価値とは、そういうものだろう。
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先生の話を聞いていると、議論は重要じゃなくて、個人個人の勘が重要だと。まるで暴論じゃないですか。
じゃあ、説明を変えよう。
君が、知人にマルチ商法の勧誘を受けたとしよう。ファミレスに5時間、軟禁されて、君が何を言っても、ことごとく論破された。
そしたら君は、そのマルチ商法に入会するのかね?
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しないと思います。
どうしてだ? 議論に負けて、そのマルチ商法に入会すると儲かって幸せな生活が送れることが正しいと証明されたようなものなのに、入らぬのか?
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それは、議論は議論です。議論に負けたから入らなきゃいけないなんて、おかしいじゃないですか。どんなに論破されても、マルチ商法に入るとトクだと証明されたことになんかならないし、私は、入らない方が良いことを分かっているつもりです。
さっき、わしが言っていたことと同じようなことを言ってるではないか。つまりは、そういうことだ。
どんなに論破されても、自分のことは自分で決める。集団のことは、採決によって決める。これが正しい道なのだ。