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先生は、親しいお友達といえば、どんな人がいますか。
友達と呼べるような奴は、おらんかもしれぬ。
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それは寂しいですね。友達、作らないんですか?
そういうわけではない。だが、人間と人間が単に仲良くなるだけでなく、真にうち解けて友達だと実感するには、苦労を分かち合わなければならない。
共同して1つの仕事に取り組んで苦労するとか、同じスポーツチームに属して練習に励み戦うとか。
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いいじゃないですか、それこそ本当の友達です。
だが、「同じようにひどい目にあった」という場合も同様で、実は、苦労を分かち合うことよりも、「一緒にひどい目にあった」ことの方が重要かも知れぬ。
苦労や「ひどい目」を伴わない、単なる順調な共同作業ではダメなのだ。苦労や困難が必要で、これは、「ひどい目」ということに他ならない。
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なんか、見方がゆがんでませんか?
「一緒に堪え忍んだ仲」と言っても良いかも知れぬ。
ともに兵士として敵地で戦った、戦友がその最たるものだろう。現代のわれわれの日常生活では、旧日本軍などにおける戦友のような、そこまで堅い友情を得ることは、普通では難しい。しかし戦友とは、想像を絶するような深い友情なのだろう。
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で、先生は、そういうお友達は、いらっしゃらないと?
苦労するのもいやだし、ひどい目に遭うのもごめん被りたいからのう。
友達ができんわけじゃ。ふぉっ、ふぉっ、ふぉ。